生放送「命もいらず、名もいらず」

次回の放送は令和7年10月19日 10:00からです

番組の趣旨

英雄とか、英傑とか言われた人たちは、よく「言行録」を残していますが、西郷隆盛の場合にはそれがありません。福澤諭吉や勝海舟などの同時代の人たちが、膨大な自伝や言行録を書いたにもかかわらず。西郷隆盛は決して、そういうものを残しませんでした。彼にすれば、そんなことをするよりも、自分自身がふだん言っていることや、生き方そのものが、言行録だと思っていたのかも知れません。

しかし、現実には『西郷南洲遺訓』という書物が残っています。しかし、これは前述したように、西郷隆盛自身が書き残したものではありません。

山形県の庄内藩は、戊辰戦争の時に新政府に敵対しましたが、西郷のお陰で大変寛大な処分を受けたのみで、みんな西郷に感謝していました。明治の初年、そんな気持を持った庄内藩の藩主や藩士70名余が鹿児島に西郷を訪ね、3ヶ月に亙って滞在しました。

その頃の西郷は、小さな家にこもって、犬を相手にしながら土を耕していました。一介の農民生活を送っていたのです。庄内藩士たちは、そのまま西郷のそばで起居を共にし、西郷の言うことや行なうことを見聞きし、西郷から、彼の持つ「何か」を学ぼうとしました。そして、その時に西郷の口から出た言葉を綴ったのが『西郷南洲遺訓』なのです。

西郷隆盛は維新の立役者であり、その功績は幕末維新史でも傑出しています。幕末期には様々なタイプの志士たちが湧出していますが、彼はその人間性で多くの人間を引き寄せ、動かし、時代を変えていきました。その卓越した人間力は歴史上のものではなく、日本人がリーダーを考える上で示唆を受けるものも多く、またその魅力は今なお多くの日本人を惹き付けてやみません。

幕府を瓦解させる原動力となった彼の思想への純化は、維新後の複雑な政治の中では発揮し得ませんでしたが、彼のような「かくありたい」という灯火を心に持ち続ける姿勢には、多くの人が共鳴しています。

西郷隆盛の思想をまとめた『西郷南洲遺訓』には、リーダーのあるべき姿が語り尽くされています。その冒頭には「廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些(ち)とも私を挟む細みては済まぬもの也」、つまり、トップに立つ者は天道を踏み行なうものであって、少しでも自分を大切にする思いを差し挟んではならないと述べています。トップに立つ人間が、個人という立場になった時に、組織をダメにしてしまう。常に組織に思いを馳せることが出来るような人、いわば自己犠牲を厭わないで出来るような人でなければ、トップになってはならないということを説いています。

西郷隆盛の思想には「無私」という考え方が一貫して流れています。公平に心をとり、自分自身をなくすという、その無私の考え方は、リーダーにとって一番大事なことです。そのような西郷の思想が最も明確に表われているのが、「命もいらず、名モいらず、官位も金もいらぬ人」という言葉です。そのような人こそが、現在の混迷の世相を救う、究極のリーダーの姿だと思います。

遺訓の教えは、ただ知識として知っているだけでは意味がありません。「知っている」ことと「実行できる」ことは全く違います。知識として得たものは、それが魂の叫びにまで高まっていなければ決して使えないのです。試練や辛酸を幾度も舐め、そのたびにそれを克服していくというプロセスを経験しなければ、その人の持つ哲学や思想、また志というものは決して堅いものとはなりません。私たちも「自分はこういう生き方をしたい」と、常に自分自身に繰り返し訴えていき、自らの「思い」を魂にしみ込ませていくことが大切です。

そこで、今回のシリーズでは『西郷南洲遺訓を読む~命もいらず、名もいらず』をテーマに、元勲でありながらも草履ばきの銅像が建てられた、その親しみやすい「西郷さん」の、大きな哲学を学びながら、佐藤一斎に引き続き、「リーダーの資質」「リーダーのあるべき姿」について、視聴者の皆様と共に考えて参りたいと思います。

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