「揺るがぬ高橋紹運の誠~キリスト教と大友宗麟」

次回の放送は令和元年7月28日 10:00からです

番組の趣旨

九州の武士、いわゆる鎮西武士団はなぜ強いのか。その理由のひとつが国防意識です。古来、九州は日本の防衛の最前線でした。古代は「防人」、中世は「元寇」と大陸や朝鮮半島からの脅威に絶え間なくさらされてきたため、防衛意識が必然的に培われ、将兵を鍛えたのです。

二つ目は教育です。その強さの源泉には戦国時代から江戸時代に培われた藩校教育をはじめ、その土地ならではの「武士道」があります。朝鮮出兵で獅子奮迅の活躍をした加藤清正、立花宗茂や島津軍をはじめ、福岡黒田藩、細川家と連なる肥後藩など雄藩が多くあります。「士は節義を嗜(たしな)み申すべく候」で始まり「上に諂(へつら)わず、下は侮らず・・・」と幼少から叩き込まれました。そうした武士道教育の伝統と文化が鎮西武士を形成していったのです。

昭和19年(1944)、日本軍と戦っていた中国・国民党の蒋介石は、全軍に対してこう訓示しました。 「拉孟(らもう)において、騰越(とうえつ)において、日本軍の善戦健闘に比べてわが軍の戦績がどんなに見劣りするか。予は甚だ遺憾に堪えない」と。

蒋介石が称えた日本軍こそ、九州出身者で構成された第18師団(通称菊兵団)と第56師団(通称龍兵団)でした。中国・ビルマ国境において、拠点を守り、わずか数百から数千の陣容で、万を越す敵兵を4ヶ月にわたって釘付けにしました。

そうした日本軍の強さに学ぼうと、昭和24(1949)年7月、大陸での国共内戦に敗れ台湾に部隊を撤退させた蒋介石は、軍の再建支援を元支那派遣軍総司令官、岡村寧次(やすじ)大将にもとめます。その要請に応えて秘密裡に創設されたのが、富田直亮少将の「白団(ぱいだん)」でした。その後、軍事支援は昭和44(1969)年までの20年もの永きにわたって続けられ、現在の中華民國(台湾)の国軍の基礎が築かれたのです。

今回は、豊臣秀吉の天下統一に関わり深い大宰府の四王寺山にある岩屋城で、天正14年(1586)、4万5千の島津軍を相手に14日間にわたる攻防を展開、763人全員が玉砕という苛烈な戦いをした高橋紹運公の生涯を通して、武士道の醸成と鎮西武士の誇り、台湾で見た「日本精神」の源流について考えてみたいと思います。

戦後74年も封印されてきた地元史をひも解くことにより、先人たちの公(おおやけ)に殉じる勇気ある生き方を知り、その死生観にふれることにより、学校教育から消された「武士道精神」や台湾に生きる「日本精神」に、私たちはより大きな発見をするに違いありません。

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