生放送「生き残った37人の子供たちの証言」

次回の放送は令和8年8月9日 10:00からです

番組の趣旨

昭和20年8月9日午前11時2分、長崎に原子爆弾が落とされました。爆心地から北へ約500mから700mの地点にあった長崎市立山里小学校の鉄筋コンクリートの校舎は、爆風と火災でほぼ全壊、校舎の一部だけが残りました。

当時、校内外にいた児童は約1500人。その内、原爆によって約1300人の児童と先生が一瞬にして命を絶たれ、生き残ったのはわずか37人でした。職員も大きな被害を受け、校長を含む28人が命を落としました。

学校の裏には防空壕もありましたが、爆風の威力は凄まじく、壕の中にいても助からなかった人が多くいました。現在、その防空壕跡は被爆遺構として保存され、訪れる人々に当時の惨状を伝えています。

生き残った37人の子供たちは、戦後の混乱の中で心身ともに大きな傷を背負いながら生活していました。そんな時、医師であり、自らも被爆者であった長崎大学医学部の永井隆博士は、「あの子ら」の霊を慰め、平和への足がかりにしようと、体験を文章に残すことを提案します。子供たちは、勇気を振り絞って筆をとり、焼け野原の光景、家族や友達を失った悲しみ、自分が生き残ったことへの戸惑いなどを記しました。

「ぜひ今のうちに、今の子供達の姿を、心を残しておきたいのです。必ず忘れられていきます。子供達もやがて忘れるでしょうし、周囲の大人たちも、この子供達の姿を語りつぐこともなくなることでしょう。でも、決して忘れてはならないことなのです。今、残しておかないと、再びこの子達のことを知ってくれる人はいなくなります。書けない子は語らせて下さい。そして先生方の手を貸して下さい・・・」。

そうして原爆投下の4年後に永井博士によってまとめられたのが、生き残った子供たちの原爆体験記『原子雲の下に生きて』です。これは、世界で初めての被爆児童による記録集であり、被爆体験を子供の視点から記した貴重な証言となりました。そして、この本の印税は、原子爆弾の犠牲になった友のための平和祈念碑「あの子ら」の碑の建立に使われました。碑には手を合わせる少女のレリーフと「平和を」の文字が刻まれ、今も山里小学校の敷地内に残っています。

この手記は、単なる歴史資料を超えた意味を持っています。それは戦争や核兵器の悲惨さを後世に伝える「遺言書」のような存在です。文章の一つ一つに、その子の見た光景や感じた思いが詰まっており、読む人の胸を強く打ちます。子供たちの言葉は大人の証言とは異なり、同年代の若者や子供たちにも強く響きます。

終戦81年を迎え、この間、日本は戦争に巻き込まれることなく復興と発展を続けましたが、その背景には犠牲となった多くの命と、生き延びた人々の苦しみがあります。戦争体験者や被爆者の高齢化が進む中、直接証言を聞ける機会は急速に減っています。「生き延びた後の方が地獄だった」と語る人もおり、戦後の生活や社会的偏見、孤児としての苦労など、戦争が終わった後も続いた苦難があったことを忘れてはいけません。

この81年という歳月は、記憶を継ぎ、次世代へと語り継ぐ最後の機会となりつつあります。これ迄、番組では、英霊顕彰を柱に、主に「兵隊さん」にスポットを当て、大人の視点で「大東亜戦争」や「広島・長崎の原爆」を見てきましたが、今年は次世代へ語り継ぐため、子供の視点に立った「戦争体験」「被爆体験」を通して、『戦争』や『平和』について、視聴者の皆様と共に考えて参りたいと思います。

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