生放送「別れても好きな人・物・心 Vol.1」

次回の放送は令和7年5月18日 10:00からです

番組の趣旨

1871年、いわゆる宮古島島民遭難事件と、その三年後西郷從道率軍隊の台湾出兵、並び琉球処分が、日台の近代史に幕を開けました。

1894年に日清戦争が勃発、翌年の5月8日、日清両国代表が山東省煙台で条約批准書を交わしたと同時に、日本が台湾を領有することになりました。それから、1952年4月28日サンフランシスコ条約発効するまで、台湾は法律上57年間日本領になりました。

ご存知のように、今年は日清講和条約130年、並びに終戦80年の節目の年であります。

80年前、台湾は内地日本と同様に熾烈な空爆を受けた末終戦に迎えました。そして、町内で隣人と友人と、校内で級友と先生と、職場で上司と同僚とそれぞれに別れを告げて、引揚船に乗り、互いに異国民になりました。

ところで、国別れて思い残し。戦前戦後を通して、台湾人の「日本好き」はなかなか意味深い。戰前世代が末永く同窓会を開くことや、日本製品、日本時代の教えを大事にすることだけではなく、本日台湾新幹線台中駅では、山崎パン、モスバーガー、大戸屋、すき家、一風堂などなど、ほぼ日本系列の店に占領されて、戦後世代に大人気になっています。

しかし、この「心の通じ合うこと」は決して日清戦争のお陰様で、台湾が最初から王道楽土になって、全てがスムーズに出来たものではなく、むしろ無責任な清国のせいで、支那文化の無法、非情、理不尽のせいで、台湾全土が日台戦争(又は台湾領有戦争)に巻き込まれました。

本日から3回シリーズで、私の生まれ故郷彰化で起きた日台戦争最大規模の正面戦闘--八卦山の戦いを紹介し、なぜ、台湾に抗日戦争が起こったか?について考えたいと思います。

また、彰化出身の方々を中心に、それぞれの心の旅路を取り上げて、「法のもと、情欠かさず、理にかなう」環境の中に培ってきた「別れても日本が好き」心情についても考えてみたいと思います。

もっと見る

閉じる

現在のシリーズのアーカイブ

お問い合わせお問合せ