偉人を学ぶ意義
第5回 6月14日放送
偉人を学ぶ意義
出演者
伊藤伉/井上政典/中実柚菜/梶栗勝敏
- 出演者はコメンテーター/ゲスト/パーソナリティ/アシスタントの順で表記した。
- 初回出演者は太字とした。
- 敬称略
リスナーの声
[こんにちは]
[宇美ゆかばより]
たいへん有意義な番組をいつもありがとうございます。
テーマが「偉人伝の意義」ということですが、わたくしが、日ごろ疑問に感じていることをいくつか申し上げたいと思います。
①学校教育で、郷土の偉人がほとんど教えられていない。貝原益軒と養生訓、幕末の福岡藩士たちの奮闘と挫折、それにつながる玄洋社の活動と解散など。
②30年、40年前に比べて、偉人伝を出版する出版社が極端に少なくなった。一般の書店でズラリと並んでいるのは、いまや「マンガ日本に歴史、世界の歴史」である。
③テレビで近頃盛んに行われているのが、歴史上の人物の極端な「矮小化」「相対化」である。「頼朝の肖像画は別人である」「足利尊氏の肖像画も別人のものである」「聖徳太子の肖像画も別人である」「聖徳太子ではなく、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ぶべきである」。さらには、「聖徳太子はいなかった」というものまで出てくる始末。
これらは、左翼勢力と偏向した戦後の歴史学会による「国史の相対化・弱体化」が最終段階に入ったということの証左であろう。歴史上の人物の肖像画などは写真ではないので、本物かどうかなど誰も証明できるものではないはずだ。それよりもむしろ、数百年の長い間」にわたって、「これがかの聖徳太子のお姿である、源頼朝である」と信じられ尊敬されてきた、その長い長い「時間」こそが大事なのである。
④日本の歴史「国史」を教えるのに、「1192年、鎌倉幕府」「1600年、関が原の戦い」などと、なぜキリスト教暦である「西暦」を用いるのだろうか。歴史の縦軸を貫く紀年法が必要であるなら、わが国には「紀元・皇紀」という立派な尺度がある。にもかかわらず西暦を用いて日本の歴史を教えるのは不思議である。皇紀、元号、西暦の順に表記して教えられることが、良いと思う。
最後まで、楽しみに番組を聴かせていただきます。
No.139
[素晴らしい出演者の皆様方へ!]
[毎週、日曜討論で元気をつけている人:その一人より]
いつも楽しい放送有難うございます。パーソナリティの中さんのお声は波動が特によろしいようでとてもさわやかな気持ちにさせて頂いております。
本日の放送内容はいつものそれとくらべてもひときわ感動的です。北里柴三郎先生の功績が素晴らしいということ、改めて学ぶことができました。小国町のお生まれだったのですね。身近に感じます。本当に自分のことの様に嬉しいですね。日本人に生れてよかったなあ、と思いました。
有難うございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
No.140
[偉人を学ぶ]
[みっちゃんより]
歴史は詳しくありませんが、お話しを聞いていて、日本人として誇りを持っていいんだと感じます。ありがとうございます。
No.141
[井上さん、ご無沙汰をしています]
[福井より]
BSIの福井です。大変ご無沙汰してます。
ただいま神戸の実家からネットで閲覧してますが、残念ながら音声が途切れ途切れでしか聞こえません。また機会あれば、ためになる話聞かせて下さい。
No.142
[井上さん頑張れ!]
[白石より]
井上さま ネットで見てます!とても分かりやすく面白いです!吉田松陰先生の話がもっと聞きたいです!頑張ってください!
No.143
[日曜討論御中]
[佐賀市名誉地政学博士田原克芳ですより]
国の安全、食の安全、人の安全」は今の時代にマッチした素晴らしいテーマだと思います。
本日の論客は、関社長、松俵相談役、渡辺社長とそうそうたるメンバーで、皆様それぞれに識能が高く、風格あり、見聞している者の心に響きます。こういう人物だから起業し一代で立派な会社に育てられたのだと思います。まさに社員という「人の安全・人材の育成」を真剣に考え実行してこられた賜物だと思います。
今後益々の日曜討論のご発展とお三方のご活躍をお祈りします。
No.144
[日曜討論様]
[佐賀市いち主婦ですより]
関社長の「社員に働いて頂いてる」「寄付させてもらっている」のお言葉に感動しました。
松俵相談役の「貧乏はチャンス、上がるしかない」「社員に自信を与える、自身は心の中にある」「町に支援させて下さい」のお言葉に感動しました。
渡辺社長の「喜びと幸せの食卓をお客様に届けるのが、私の幸せ」「もうけは社員皆で分ける」のお言葉に感動しました。
共通点は“自分のお陰でなく、周囲の人のお陰”という感謝の考えと真心の人と思います。
小菅理事長の総括として「町の宝」というお言葉は絶妙ですね。
No.145