誇りある国づくり、人づくり~教科書が教えない歴史
日本再発見・本篇第151弾 全6回 令和4年2月20日~4月3日放送
番組の趣旨
日本に神道(神惟らの道)が芽生えたのは紀元前10世紀頃、つまり3000年前に神道は生まれたのです。次ぎに2500年前に孔子の儒学(儒教)が、約2000年前にお釈迦様の仏教が生まれました。この3つが渾然一体となって日本の伝統文化をつくり上げることになりました。そして、聖徳太子の時代から約1000年が経って江戸時代に「武士道」が出来上がり、そして日本人の品格が完成しました。
江戸時代及び明治の初期に来日した多くの西洋人が、日本人の精神文化の高さに驚いた記録が多く残されています。そういう立派な文化が壊れてしまったのが明治維新でした。舶来文化の流入によって、もう日本の伝統文化には価値がないという風潮が蔓延し、何もかもが欧米の舶来思想を重要視しました。その結果、日本人の優れた道徳、風習が退廃して、社会も学校教育も大変なことになりました。
この混乱を是正しようという明治天皇と多くの人々の努力で、明治23年10月30日に「教育勅語」が煥発されました。また、教育勅語を普及するために、明治36年に学校教育で修身教科書が国定教科書として出来、その前は民間の検定教科書でした。明治37年から昭和20年までに修身教科書は4度改訂されましたが、そのお蔭で日本人は立派な道徳規律が持てるようになりました。
日露戦争が始まった明治37年頃の西洋人は、「東洋の小さい国の、鼻ぺちゃの黄色い猿どもが、無謀にも大国ロシアに戦争を仕掛けた」と揶揄していました。ところが、皮肉にも日本が勝利しました。世界中が驚き、日本の勝利の原因を探し求めました。その結論が、「教育勅語」と「修身教科書」の存在だったのです。
日露戦争の最中の明治38年7月、ロンドン大学から日本国政府に「ロンドン大学での日本の教育についての講演会」の依頼がありました。旅順陥落、奉天陥落、バルチック艦隊全滅と、日本の連勝が続いた直後です。そして、明治40年2月14日、ロンドン大学で「日本の教育の基礎となる教育勅語の説明、及びその発表された事情」についての講演がなされました。その反響は大きく、菊池大麓はロンドン大学で7ケ月間、25回にわたり講演します。そして、明治41年(1908)9月25日から4日間、ロンドンで25ケ国の首脳と、各国の教育関係の代表者1800名が集まり、「第1回国際道徳教育会議」が開催されました。これ以降、各国は自国の学校教育に「修身教育」を取り入れていくことになりました。
しかし、現在のわが国では「教育勅語」「修身」は『悪の権化』のように扱われ、社会全体、教育全体が荒廃しています。そこで、今回のシーズでは『誇りある国づくり、人づくり』をテーマに、きちんと学校教育で日本の歴史と日本人の精神(こころ)が教えられることを願って、「教育勅語と修身教育の良さと真髄」を視聴者の皆様と共に、再発見して参りたいと思います。
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