移民の歴史から学ぶべきこと

日本再発見・本篇第159弾 全6回 令和5年3月12日~4月16日放送

番組の趣旨

日本の南洋・南方への海外進出の歴史は古く、安土桃山時代から江戸時代の初期にかけて、タイ、ベトナム、フィリピンなどの南洋アジア各地に日本人町が生まれました。しかし、その後、江戸時代のいわゆる鎖国政策で後続を断たれて、南洋の日本人町は消滅しました。

明治以降の日本の海外発展の先駆は、明治元年(1868)の153名のハワイ日本移民で、それは日本移民の元祖であると言えます。日本の海外移住は、この明治元年に「元年者」が農業労働者としてハワイに渡航したことをもって嚆矢とします。そして、このハワイ向けに源を発した日本の移住の流れは明治の中頃からアメリカ本土へ指向され、やがて明治41年(1908)にはブラジル移住が始まり、南方アジア、南洋諸島などの移民が増え、大正末期から昭和の初めにかけては最盛期となりました。

日本人の海外移住は、慶應2年(1866)に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから、すでに157年の歴史があります。ハワイ王国におけるサトウキビ・プランテーションでの就労に始まって、アメリカ、カナダといった北米への移住、その後の明治32年(1899)にはペルー、明治41年(1908)にはブラジルへと日本人は渡ります。そして、大正13年(1924)にアメリカでの日本人の入国が禁止されると、大きな流れが北米から南米へと移っていきます。その結果、大東亜戦争前には約77万人、終戦後には約26万人が移住しています。そして、現在では全世界に380万人以上の海外移住者や日系人がおり、そのうち220万人以上が中南米諸国に在住していると推定されています。

そもそもわが国・日本は明治維新以後、1970年代初頭まで、何故、移民を海外に送り出し続けたのでしょうか?しかも、それらの移民の多くは国策として送り出された移民でした。そうした国策を採用した根拠は、幕末から明治期にかけて一部の知識人が唱えた「海外雄飛論」という誇大妄想的な議論は置くとして、「人口過剰」という認識がその下敷きにあったのだろうと考えられています。

実際、日本の人口は、江戸時代には約3千万人で推移していましたが、明治維新後には急激に増加し、1920年代末には6千万人を超えています。この急激な人口増加が、海外移民を政策的に推進させる背景にあったのではないでしょうか。

政府は、財閥支配と地主制に起因する国内市場の狭隘さが、人口過剰という現象を生み出す根本原因であることを隠蔽し、国策による海外移民政策を推進したのではなかったのでしょうか。

昨今は「改正出入国管理法」により、日本はこれまで以上の多数の外国人労働者を受け入れることが可能になりました。政府はこの改正法によって受け入れる外国人労働者は「人口減少」に伴う労働力不足を補うためであり、「移民」ではないと強弁していますが、実質的には移民の受け入れに大きく舵を切ったと見られています。

かつては人口過剰を理由に、国策として海外移民を推進し、海外に行ってしまえば自己責任とばかりに移民の保護を放棄してきた国が、今度は人口減少による労働者不足のため他国人を手厚い保護で呼び込もうという国になってしまいました。

そこで、今回のシリーズでは『移民の歴史から学ぶべきこと』をテーマに視聴者の皆様と共に、コロナ後をふまえて移民問題について考えて参りたいと思います。

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