古き良き”躾”学ぶこれからの國體

日本再発見・本篇第161弾 全6回 令和5年7月23日~9月3日放送

番組の趣旨

皆さんは「日本学」という言葉を聞いたことがありますか。日本学とは広く云えば、日本国民の修得すべき、日本に関する一切の学問です。手近く言えば、日本国民たるべき知識と教養と修練を与える学問です。つまり、日本人としての資格を養成する学問という意味です。例えば、特定の専門職に就くためには、それぞれの専門の学校、学科があり、専門職たる知識と教養、技術を修得します。しかし、日本の国民としての資格を修得するのに、その学問がないというのは不合理だとは思いませんか。しかも、その不合理を誰しもが平気にして看過してしまっているのです。この国に生まれ育ち、ずうっとこの国に住んでいるのだから国民だと思っているのではないでしょうか。これでは、国民としての自覚が生まれないのも当然です。

戦後の学校教育では、家族を崩壊させる中で個人主義に走り、自由、平等、人権・平和教育、教師と生徒は平等、家庭の中では上下の関係ではなく。平等な小さな民主主義を作れ、親と子は平等とせよ、というGHQ製の民主主義教育により、誇りある日本の歴史に基づく伝統的な学校教育は破壊されてしまいました。その結果、学校教育からは「国家」の役割、大切さを認識する「国家観」が完全に抜け落ち、「日本精神」「日本の伝統」は消え去ってしまいました。

かつて徳富蘇峰は「善き世界の市民は、必ずしも善き日本国民に非ず。善き日本国民は、必ず善き世界の市民である」と言いましたが、わが国の現在の惨状を見るにつけ、日本人の精神は死に瀕していると云わざるを得ません。

昨今、世間は、教育は目に見え、点数化できる「学力」や「技能」に関心を寄せ、その高低によって学校を評価します。それは樹木に例えれば、地上に咲く花や葉です。それは「末学」で、「本学」は目に見えない「根っこ」の育成にあるのです。決して本末を転倒してはいけません。根がなければ花も咲きません。根から立派な日本人としての栄養素に富んだ知識を吸収することが本来の教育なのです。反対に、伝統破壊の思想、ジェンダーフリーとか、女系天皇でもよいとする主張、夫婦別姓などという日本の伝統的精神に反対する毒素を吸収したのでは、立派な日本人が育つわけはありません。

伝統とは先人の取捨選択を経て生き残った善悪の基準、美醜の感覚であり、規範です。私たちはそれを「感性の教育」と呼び、これこそが教育の本質だと理解しています。「物事を動かす原動力はその精神にあり」と謂われますが、日本人の精神とは何でしょうか? それは、「神道」の清明な心、「仏教」の慈悲の心、「儒教」の礼儀が混合した精神であり、一言で表現すれば「利他の心」であると考えています。

そのような、日本人精神を保守的教育観に基づく手法で身に付けさせなければいけません。左翼・リベラルが反対する反自虐史観に基づく歴史教育、倫理・道徳教育を復活させなければいけません。

そこで、今回のシリーズでは、かつて「修身」や「国民道徳」として学校教育で教えられていた「躾」や「礼儀・作法」などに光を当てながら、戦後「崩壊しつつある国体」について視聴者の皆様と考えて参りたいと思います。

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