海の彼方のニッポンを訪ねて

日本再発見・本篇第163弾 全6回 令和5年10月22日~11月26日放送

番組の趣旨

御代がわりの令和元年7月24日、日華(台)親善友好慰霊訪問団団長、小菅亥三郎先生が急逝されました。それは、奇しくも「死んだら台湾に埋葬せよ」と遺された明石元二郎台湾総督歿後100年の年であり、7月24日は「台湾近代化の父」と呼ばれる児玉源太郎台湾総督の命日でもありました。この廻り合わせは果たして偶然だったのでしょうか。あまりにも台湾とのご縁を感じさせられた出来事でした。

平成11年に日華(台)親善友好慰霊訪問団を結成され、以来、団長として20年の長きに亙り、英霊顕彰や日台国交回復のために尽力し、真の日本人を取り戻すことの深化成熟に心血を注ぎ、肝胆を砕いてこられましたが、志半ばで斃れられてしまいました。

小菅団長は卓越した政治的指導力、人挌力、統率力を備えておられました。また才能、力量において優れていたのみならず、全く私心のない人でした。常に日本人としての良識と覚悟を持ち続け、明治の精神を体現されていました。そして、持ち前のエネルギッシュでユーモア溢れるお人柄に、台湾の皆様をはじめとする多くの方々が、すっかり魅了され虜にされてきたのです。

超人的といってもよい、お忙しいスケジュールに分刻みで身を投じておられたにも拘らず、常に公(おおやけ)を考え、身を以って現在の国難を打開せんと決起し、正気迸っておられました。お陰を持ちまして私たちは、団長の感化薫陶を受けることができ、先生の教えは皆様の心に引き継がれ、今なお生き続けているのです。

小菅団長は、亡くなる直前に、台湾戦友会の皆様の高齢化による宝覚寺での慰霊祭の斎行継続を危惧されて台湾を訪れ、主催団体である台湾台日海友會の会長並びに役員の皆さんと共に、宝覚寺での慰霊祭存続について協議されました。小菅団長は、その席上、今後は慰霊訪問団が中心となって慰霊祭を継続する決意を表明され、台湾の皆様へ協力を要請しました。そんな中、突然、私たちは慰霊祭の柱である小菅団長を喪うことになってしまったのです。

その後、武漢発の新型肺炎の世界的感染拡大により、台湾への渡航そのものが叶わなくなり、慰霊訪問団の編成が出来ない状況が3年間も続きました。

そして、昭和天皇(摂政の宮)の訪台100年、慰霊訪問団結成25周年という記念すべき今年、従来の通りの台湾との往来が可能となりました。しかし、この3年の間に台湾をとりまく世界情勢も大きく変わり、台湾戦友会の方々も相次ぎ鬼籍に入られてしまいました。

こういう試練を迎えた私たち慰霊訪問団ではありますが、今後も小菅団長並びに台湾戦友会の皆様のご遺志を継承し、第25次の慰霊訪問団を編成することになりました。そして、若い世代を中心とした慰霊祭斎行を継続し、「日台の生命の絆」を更に深化させていく事をお誓い申し上げました。

そこで、今回のシリーズは、『海の彼方のニッポンを訪ねて』をテーマに、改めて慰霊訪問団の25年の歴史と、小菅団長の台湾並びに台湾の御英霊の皆様に対する思いを振り返りながら、団長がこれまで築きあげて来られた日台交流の基礎を若い世代へと引き継いでいくことが出来るよう、私たちは台湾とどう接するべきなのか、また台湾の英霊の皆様とどう向かい会うべきなのか、について視聴者の皆様と共に考えて参りたいと思います。

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