神格的天皇制の確立~持統天皇と藤原不比等
日本再発見・本篇第169弾 全6回 令和6年9月29日~11月3日放送
番組の趣旨
「小倉百人一首」には、持統天皇の作として「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」という和歌が採られています。大和三山(やまとさんざん)の一つ、天(あま)の香具山(かぐやま)をうたった和歌を詠む時、鮮明なカラー写真でも見るような印象を受けるでしょう。そこには、影ひとつない、眩(まぶ)しいばかりの初夏の風景が繰り広げられています。
7世紀末の激しい動乱の時代を、妻として、母として、祖母として、さらには帝王として、ひたすら50余年間を生き抜いた持統女帝の生涯を、一つの風景と見るならば、人はそこに、どのような光と陰を見い出すのでしょうか。
『万葉集』の原歌は「衣ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」ではなく、「衣ほしたり 天の香具山」ですが、「衣ほすてふ」(衣を干すという)より、「衣ほしたり」と現実にそれを目の前に見て詠っている方が、和歌のひびきとしても格調高く、大きい歌だと思います。そこには王者の風格があります。
『日本書紀』は「深沈大渡(しんじんだいと)」という中国風の決まり文句で持統天皇のことを言っていますが、本当にそういう柄(がら)のあった人だと思います。帝王としてそこに据(す)えてしかるべき器(うつわ)で、彼女は生まれながらにしてそれを持っていたという感じです。『万葉集』の中でも、この和歌は一級品だと思います。
それに「衣ほしたり」というところに目をつけるところが、いかにも女の人らしいです。王者の風格と女性としてのデリカシーがうまく合わさって、一種独得の味わいを持つところが、良いのです。 もっともこの和歌は、当時の民謡(みんよう)というか、伝承歌(でんしょうか)というべきもので、持統天皇の創作ではない、とも言われています。
『万葉集』を見ても、天智天皇から持統天皇の代(だい)にかけて、いわゆる白鳳時代(はくほうじだい)の頃の和歌には、香具山(かぐやま)を詠った和歌が少なくありません。そして、「天降(あまくだ)りつく天(あま)の芳来山(香山)」とか、「天降(あまくだ)りつく神(かみ)の香山(かぐやま)」とか詠まれ、天(てん)から、つまり高天原(たかまがはら)からこの地上に降(くだ)ってきた香具山(かぐやま)という、神山(かみのやま)としての匂いの濃い山なのです。
これは、単なる想像ですが、「衣ほしたり」という衣は夏衣(なつごろも)で、しかも単なる衣ではなく、一種の神衣(かみごろも)ではないかと思われます。
大和三山(やまとさんざん)は、耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)、香具山(かぐやま)とありますが、その中で、「天(あま)の」とつくのは香具山(かぐやま)だけです。宮廷神話の原形は、5世紀末から6世紀の前半にある程度できていたと考えられますが、最終的に完成するのは、やはり天武・持統朝の代で、その神話の中に、香具山(かぐやま)が非常に重要な山として出てくるのです。日本神話では実在の香具山(かぐやま)が天上の世界、高天原(たかまがはら)に移しかえられています。つまり、香具山(かぐやま)に対する信仰が高天原(たかまがはら)と結びついた形で神話の中に語り込まれているのです。
ここで、興味があるのは、持統天皇におくられた諡(おくりな)が「高天原広野姫(たかまがはらひろのひめ)」であったということです。これは『日本書紀』にも『万葉集』にもはっきり記されています。「高天原(たかまがはら)」という諡(おくりな)を持つのは、歴代の天皇の中で持統天皇だけです。その持統天皇が、高天原の神話で大変重要視 されている山、「天(あま)の香具山(かぐやま)」の情景を和歌に詠んでいるのです。これは偶然ではなく、そこには深い意味があるのではないかと考えています。
そこで、今回のシリーズでは、持統天皇と『日本書紀』の編纂者(へんさんしゃ)と思われる藤原不比等(ふじわらのふひと)を取り上げ、『神格的天皇制の確立~持統天皇と藤原不比等』をテーマに、「日本神話」の原点と「律令制」、そして「天皇制」について、視聴者の皆様とともに考えて参りたいと思います。
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