日本人の思想の原点~聖徳太子の精神
日本再発見・本篇第174弾 全1回 令和7年8月31日~8月31日放送
番組の趣旨
聖徳太子は偉い人だ、と私たちは子供の時から教えられてきましたが、なぜかその評価は現在でも変わっていません。
これは、考えて見れば不思議なことで、戦後、日本の歴史のいろいろな人物の評価が様々に変わってきた中で、例えば、楠木正成とか幸徳秋水はその極端な例ですが、聖徳太子については、ずっと一貫して偉大な人物だという見方が支配的であり続けたというのは、紙幣に(百円券に四回、千円券に一回、五千円券に一回、一万円券に一回)肖像が印刷されていたことでも分かります。戦後、軍国主義を連想するとして議論があった際、当時の日銀総裁は、太子を「和を以て貴しと為す」から平和主義者だと主張し、肖像が存続されたと謂います。
では、何ゆえにかくも太子が偉大であるかと言えば、一つは、現在の日本の法治国家の基をなした律令国家の先駆的な基礎づけをやったという事、もう一つは、日本仏教の基礎を作ったということです。仏教が日本に伝来するのは、『日本書紀』によれば欽明天皇の13年(552)ですが、その仏教が日本に定着するためには、聖徳太子という偉大な仏教者の存在が非常に大きかったということです。
政治家としての聖徳太子の功績としては、冠位十二階の制とか、十七条の憲法を作ったとか、あるいは、中国の当時の王朝である隋に対して自主的な外交を行なったことが挙げられていますし、仏教者としての聖徳太子の功績としては、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立したとか、『三経義疏』の著作が挙げられています。
大和斑鳩の里、法隆寺には今でも大勢の観光客に混じって、修学旅行の生徒たちが訪れます。そこでは、たいていの人が、世界最古の木造建築に驚嘆の声をあげ、古拙の微笑をたたえる仏像に好奇の瞳を凝らします。
また宝蔵に陳列される「聖徳太子二王子像」は、紙幣の肖像の原画となったものです。百済の阿佐太子の筆とも云い、これを聖徳太子の像だとする根拠は、いまだ決定的ではないにしろ、今や、山羊ひげをはやした一貴人の顔は、聖徳太子と離れがたいものとなっています。
かつて一万円札の裏側に、透かし刷りになっていた夢殿は、法隆寺東院の中心をなす建物です。この中に籠もって、太子はしばしば、瞑想にふけったと言われています。東院のある一帯は、太子の住居であった斑鳩宮跡といい、夢殿の裏にあたる中宮寺には、有名な「半跏思惟の菩薩像」と、「天寿国曼荼羅繍帳」とがあります。その前に座って、しばし動かない若い女性の姿をよく見かけるのも、太子のイメージが、どこか現代の人間の魂に呼びかけるものを持っているからでしょう。
聖徳太子が、仏教が伝えられてせいぜい50年位しか経っていない日本を、仏教的な理想国にしようと、大変な熱意をもって努力されたことは、いろんな書物が語ることですが、その努力が果たして十分にむくいられたかどうかは問題のあるところでしょう。それには、何と言っても仏教を取り入れた当時の日本の様々な条件というものを考えないといけません。太子がいかに優れた人であっても、個人の偉大さや努力では超えられないものがあったと思います。
しかし、その後の千数百年の日本の仏教の歩みの中で、仏教そのものの在り方が問われて改革の動きが出るたびごとに、常に聖徳太子という存在を振り返って、「日本仏教の原点に立ち戻る」ということが繰り返し行なわれて来ましたし、現在でも、依然としてそうなのです。
そこで今回のシリーズは、『日本人の思想の原点~聖徳太子の精神』と題して、日本人の思想の原点とも言うべき聖徳太子を取り上げ、聖徳太子の実像に迫りながら、視聴者の皆様と「日本人にとっての聖徳太子」について考えて参りたいと思います。
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