佐藤一斎の『重職心得箇条』を読む~大臣の等級
日本再発見・本篇第175弾 全3回 令和7年9月28日~10月12日放送
番組の趣旨
『重職心得箇条』は、江戸時代の陽明学者である佐藤一斎が、自藩(美濃岩村藩)の重役たちのために著したものです。藩の重職についての心構えや目の付け所など、見事な指摘が17箇条で構成されています。これは云うまでもなく、聖徳太子の十七条憲法を意識したものです。
これは300年も前に書かれたものですから、その中の用語は、時代を感じさせる言葉が使われていますが、幾つかの用語を現代風に読み替えてみると、その内容は今日にもそのまま通用するものです。
例えば、「重職」という言葉は「重役」や「部長・課長・係長」といった管理職に置き換えてもいいでしょうし、範囲を広げて「マネージャー」と呼んでもよいと思います。
戦後、この種の「古いもの」は、悉く排斥されてきました。「今はそんな時代ではない」と言わんばかりに、この国は日本古来のものを捨て去ってしまいました。しかし、その結果が、今日の行き詰まりです。この行き詰まりの原因は、“人としてやってはならないことを見失ったこと”にあります。言い換えれば「重職」が「重職たる役目を果たさなかった」とことにあります。
徳川幕府や明治の有志に尊重された、明朝の名地方長官・呂新吾(ろしんご)の大著である『呻吟語』(しんぎんご)という本がありますが、その中では大臣を六等に分類して解説しています。この呂新吾の『呻吟語』という本は、大塩中斎が愛読したというので有名ですが、徳川時代には武士階級を中心に広く読まれています。
こういう「人間学」というものが徳川時代はもちろん、まだ明治時代までは相当行なわれていました。ですから真の大臣といえるような人が少なくありませんでした。『呻吟語』の大臣論はよく観察し、よく分類されています。この規準で代々の大臣を観察すると、だいたいの答えがすぐに出ます。
不正を隠した結果、巨額の損失を出した経営者。くだらない犯罪で笑い者になる公務員。世界がグローバルをキーワードに大きく動いている中で、何をやっていいか分からない人たち。そんな中で、病気の解明もしないまま、ひたすら処方箋と抗生物質を欲しがる人たち。彼らは、“何をすればいいのか”という前に、“何をしてはいけないのか”ということを本気で考える必要があるのではないでしょうか。
今、激動の時代にあって、「重職」のあるべき姿が問われています。今一度、この『重職心得箇条』を呼んで見てください。そこには新鮮な驚きと、取るべき行動が見えてくるはずです。
この番組を御覧の皆様は、パソコンやスマホを縦横無尽に駆使し、「情報」を素早くキャッチする術(すべ)に長けた人だと思います。しかしながら、これから見ていく『重職心得箇条』の解説は、そのような「情報」とは異質のものです。インターネット上に“そのようなものがある”というのは「情報」ですが、その内容は「情報」ではありません。その違いを認識した上で、番組を御覧戴ければと思います。
そこで、今回のシリーズでは佐藤一斎の『重職心得箇条』を取り上げ、現代の日本人が、日本古来のものを捨て去ってしまった結果招いてしまった「行き詰まり」の本質を探り、その打開策、「重職のあるべき姿」について、視聴者の皆様とともに考えて参りたいと思います。
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