この人に聞く~私立高等学校教諭 福田章枝氏
日本再発見・周年篇 第19弾 令和元年12月22日放送
番組の趣旨
教育現場で若い世代と接したりする中で、どうにも心配でならないことがあります。それは、自他の関係性に対する認識の希薄さということです。別の言い方をすると、自我が肥大化し過ぎた結果、他者に対する顧慮が失われつつあるのではないでしょうか。その結果、自らの居場所が定まらず、孤独感を募らせています。
そのひとつの残酷な表れが、津久井やまゆり園の事件だと思います。当時、マスコミは大量殺人事件だと報道し、犯人がナチスの優生思想にかぶれていたとして異常者による例外的事件としていましたが、そんな単純なものではありません。秋葉原の通り魔事件や京都アニメーション放火事件等々、何か心の中が満たされず破壊衝動を抱えている人間が多いようです。欧米のように様々な民族や宗教が入り乱れた社会においては、その破壊衝動が政治的・宗教的主張と結びついて社会に対するテロとして現われますが、比較的均質な社会である日本では政治的背景を持たない大量殺人という形をとっているのではないでしょうか。そうであれば「生命は大切だ」と当たり前のことを繰り返しても意味がありません。
問題とすべきは、個人を絶対的存在とする価値観全体です。その象徴が、「すべての国民は、個人として尊重される」という日本国憲法第13条の規定です。その上、社会的インフラも個人単位で整備されてきました。そもそも何故そうなったのでしょうか。私たちの社会の前提となっている近代的な諸価値を問い直す必要があります。
近代的な諸価値は西洋に由来することは言うまでもありませんが、その大きな柱の一つがプロテスタンティズムです。宗教改革で、ルターはラテン語しかなかった聖書をドイツ語に訳しました。これが現代につながる近代個人主義の出発点なのです。自由(リベラル)な解釈が許されるようになると、他者から与えられた信仰ではなく自分なりの信仰に基づいて生きることが重要だという議論が生まれます。さらに、共同体の在り方にも批判的な眼が向けられ、その結果としてフランス革命が起こったのです。
そして、次第にキリスト教的倫理は失われ、その結果、自分がやりたいからやる、そんな価値の問題に深入りする必要はない。それどころか、「価値」の問題に深入りすると、今享受している自由が奪われてしまう、という発想が生まれてきたのです。それこそが、資本主義の根底にある新自由主義なのです。 今回の放送では、プロテスタント系高等学校の教諭の福田章枝先生をゲストに迎え、様々な角度から、自らの生を支える絶対的真理とでも言うべき「価値」の問題について考えて参りたいと思います。
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