日本の伝統と革新のものつくり
日本再発見・周年篇 第31弾 令和4年3月6日放送
番組の趣旨
人間は四つ足の動物から立ち上がって、前足を交通手段から開放し、作業する手に進化させました。手で水をすくって飲めるのは人間だけです。手先を自由自在に動かすために人間の脳は異常に発達しました。人間の脳の運動分野の3分の1は、手を動かすために存在しています。手と脳は100万本の神経繊維で結ばれ、微妙に動かし作業することが出来ます。それゆえ、「手は外に飛び出した脳」とも言われています。
かくて、手は神が立ち上がった動物の人間だけに与えた宝なのです。そして、手は文化文明の原動力になってきました。その中で、日本人の手は欧米人に比して特別に器用に出来ています。その差こそが日本の発展の鍵なのです。現在の近代日本の「ものつくり」も手による先端技術の賜物だったのです。この手で日本文化を掴み、手から手に渡って、今日まで来たのです。文明が軽薄短小に進むほど、縮み志向で、小さなものをピンセットのようにつまめる手の文化に有利になってきました。
日本民族が、この風土で暮らしているうちに自然に喋り出したコトバを「大和言葉」と言います。言葉は文化を背負っています。日本には、日常会話の中に「手」のつく大和言葉が1000程あって、誰からも教えられないのに自在に操っています。その大部分は英語には訳せない独得の言い廻しです。手は日本人の縮み志向の代表で、「話し手、歌い手、やり手」のように手即人と考えるのは日本人だけです。
日本人は太古から手一つで働き、お金を稼いできたので、「お手当て、手間賃、元手」というように手とお金が同義語になる珍しい言い廻しです。また、手は人間関係と策略の源泉ですから、「手を切る、手を結ぶ、手心を加える」となり「あの手、この手」を使います。日本の芸能も、その中心は総て手の働きです。日常語に、「手軽に、手広く、手堅く、手短に」のように接頭語として語調を整えるために付ける言葉もあります。そのように、日本人はあらゆる行動、仕草に「手」をそっとつけなければいられない民族性に育って来ました。
最近は、文明社会の発展で、ボタン文明になれ、日本人は手指を使わなくなってきました。鉛筆が削れず、マッチがすれず、紐が結べず、リンゴの皮が剥けません。フォーク・スプーンで箸離れも進んでいます。身の回りの多くが、ボタンを押すだけになり、スマホやゲームに夢中で、手の退化がひどくなっています。これは民族にとっても大変なことです。
手の文化は、欧米のような足の文化より進化した姿です。手こそが日本の経済社会発展の源泉なのです。日本が欧米の足の文化に勝るのはこのためです。
そこで、今回は特別番組として、この「手の文化」に支えられた日本の「ものつくり」について、作家でジャーナリストの山村明義先生に『日本の伝統と革新のものつくり』というテーマでお話を戴き、停滞する日本経済発展の鍵を握る「日本のものつくり」について、視聴者の皆様と考えて参りたいと思います。
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