終戦の日~残るは地熱・祖国のいのち
特別篇 第36弾 令和4年8月14日放送
番組の趣旨
大東亜戦争を戦った「昭和の精神」とは何なのでしょうか。昭和は、決して吉田松陰から明治に至る精神を継承しているばかりではありません。昭和に至って、日本の歴史はより広く深刻に甦りました。
支那事変中の昭和12年に発表され、准国歌のように歌われた「愛国行進曲」は当時の内閣情報局が公募したものですが、その歌詞には「ああ悠遠の神代より」とか、「往け八紘を宇と為し」の歌詞があります。
これは神武創業の精神を謳ったもので、「八紘為宇」は「橿原建都の詔」(日本書紀)の中にあります。「大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿(こんよ)ヲ一宇タラシム」とか、「万邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ」という言葉は三国同盟締結の詔書に謳われました。この精神は、我が国の世界政策として、外交文書で - Universal Brotherfoodと翻訳され、大東亜会議でも顕現されました。
古事記にある「撃ちてし止まむ」という力強い神武東征の軍歌も甦りました。その他、万葉の防人の歌から、元寇(神風特攻隊)、楠木正成・正行父子(忠孝一本、七生報国、非理法権天)、維新の志士の和歌・遺文、日清・日露戦争の軍歌等々、日本の歴史の総動員ともいうべきスケールで復活したのでした。
このように語れば、それでは敗戦後の「昭和」をどう評価するか、という質問が出て来るかも知れません。敗戦により日本は外国軍に占領され、それに便乗したり、「錯覚」の開放感にかられたり、国民意識はカメレオンのように変わりました。学校の教科書も、戦前は軍国主義の暗い時代、戦後は自由と民主主義の平和な時代のような取り上げ方が一般になりました。
これに対して、いつも想い起こすのは、三井甲之という詩人の『祖国礼拝』という詩集です。この中に大正7年(1918)に発表された「もの皆枯れて残るは地熱・祖国のいのち」という一節があります。
その前年にロシアに共産革命が起こり、日本でもそれに傾倒する者が多く、その年に米騒動が全国規模で広がりました。寺内内閣は軍を出動させ鎮圧する状態でした。そのような最中に詩人は、祖国のいのちは枯れてしまったかに見えるが、地熱のように残っている、と詠んだのです。
その詩が作られた頃に較べて、現代はもっと深刻です。我が国は大敗戦を迎え、老獪な占領政策によって自分自身を見失い、その後遺症は今も尾を引いています。しかし、それは表面的な現象であって、祖国のいのちは、地熱のように残っています。
そこで、本日は、終戦記念の日を明日に控え、特別番組『残るは地熱・祖国のいのち』をテーマに、広島県江田島にある大日本帝国海軍の「魂の殿堂」ともいうべき教育参考館ゆかりの人物を通して、視聴者の皆様と共に、今なお残る祖国の地熱を実感していきたいと思います。
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