記憶の風化~どう戦争を伝えるか

特別篇 第42弾 令和6年8月4日放送

番組の趣旨

「敵弾の光が自分に当たる!と思ったら、飛行機のそばでパッと分かれて通り過ぎる。気持悪い感覚です」

83年前の大東亜戦争開戦、今年、100歳を超えた真珠湾攻撃に参加した元搭乗員は、あの日の光景を今でも鮮明に記憶しています。それは彼らの"五感"にすり込まれた記憶です。しかし、近い将来、戦争体験者がゼロになる日は確実にやって来ます。戦争を体験し、心身に傷を負った人たちは、ひとり、またひとりとこの世を去っていく現実があります。

その時、私たちは、この未曾有の体験をどう次世代に繋いでいくのでしょうか。

戦争に関するある意識調査で「真珠湾があるのは沖縄」、そう答えた若者がすくなからずいたと聞いて、驚くとともに危機感を持ちました。今、私たち日本人が直面する最大の課題は、いかにして若い世代に戦争を伝えるか、という問題です。政治・軍事におけるリーダーたちの判断や行動を検証することも重要ですが、若い世代からは、かなり遠い話のようです。

戦争の時代を、自らを重ね合わせながら理解していく、そんなアプローチが必要なのではないでしょうか。

例えば、激しい空襲を経験した家族、母の背中に負われた子供の目から見た、焼夷弾が落ちてくるときの光景、戦場の兵士が、秒速800mを超える銃弾を無数に浴びせられたときの感覚、そうした「個人の視点」から戦争を追体験していくことも必要なのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、そういう「戦争のリアルな光景の記憶」は風化しています。そういう中で、私たちの手掛かりとなるが、多くの人たちが残してくれた、個人の手記や日記の「ドキュメント」です。そこには、公的な記録とは違って、個人の感覚や空気感、感情をたどることができ、「追体験」には適した資料だと思います。こういう手記や日記を残している人の殆どが、当時10代から20代の若者なのです。

今回、特別番組として取り上げるのは、大東亜戦争開戦の「真珠湾攻撃」です。その真珠湾から「生還した」搭乗員たちの書き残した「戦場のリアル」です。歴史的に、奇襲で戦果を上げたという側面が強調される真珠湾攻撃ですが、日本側に多くの犠牲を生んだ苛酷な任務でもあったのです。

真珠湾攻撃でアメリカ側の死者は2402人、日本軍の搭乗員の死者は55人に上っています。

後に、「九九棺桶」と呼ばれるようになる九九式艦上爆撃機による「急降下爆撃」、あるいは「鉄の棺桶」と呼ばれる特殊潜航艇による「海底からの魚雷攻撃」など、敵に極限まで接近する攻撃方法は、搭乗員たちにとってはまさに"魔の時間"だったに違いありません。

現在、先の大戦については賛否両論ありますが、戦後、欧米列強の植民地支配一色だったアジアの国々が独立を勝ち取った事実を鑑みれば、昭和16年12月8日に始まった大東亜戦は「世界の歴史を両断した」と言えると思います。今回は2回にわたり、「戦争を選ばざるを得なかった先人たちの葛藤と決断」を、彼らの残した「リアルな戦争体験」をもとに、視聴者の皆さんと共に、英霊たちを偲んで参りたいと思います。

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