終戦70年 大日本帝國の復権 其の三 明治-大正-昭和の実業家たち

日本再発見・本篇第99弾 全6回 平成27年9月13日~10月18日放送

番組の趣旨

 第二次大戦後に生まれた分断国家といえば南北に分けられた朝鮮やベトナムを思い浮かべる人が多いと思います。しかしこれは正しくありません。なぜなら朝鮮は日本だったし、そもそも国家ではありませんでした。ベトナムも仏領インドシナといって同様でした。ではどこが分断国家だったのでしょうか。それは東西に分けられたドイツです。しかし同時期に生まれた世界最大の分断国家は実はわが国・日本(①)だったのです。分断支配は枢軸国として連合国に最後まで抵抗した両国に対する国際的見せしめだったのです。

 明治8年にロシアから譲り受けた大日本帝國千島列島(②)、明治28年に清国から割譲を受けた大日本帝國台湾地方(③)、明治38年にわが国に編入された大日本帝國南樺太地方(④)、明治43年にわが国に併合された大日本帝國朝鮮地方(⑤)、大正9年にわが国の信託統治領となった大日本帝國南洋群島(⑥)。これらはそれぞれの時代において、当時の国際社会が挙って認めた紛れもないわが国の領土(=国土)だったのです。

 しかし、米国を中心とする連合国は、勝者による敗者への分割統治を強行し、わが国を北海道、本州、四国、九州の4島に押し込め、領土的生体解剖を推し進めました。その結果、千島列島(②)と南樺太地方(③)はソ連(現「ロシア」)、台湾地方(②)は中華民國、朝鮮地方(⑤)は南北朝鮮、南洋群島(⑥)はパラオやトンガ等の新興国に帰属させられました。その上、昭和20年8月18日未明から9月3日にかけて行われたソ連による火事場泥棒的侵略により、千島列島(②)の占守島から択捉島に至る18列島は言わずもがな北海道に帰属する北方4島が現在に至るまで不法占拠されたままです。

 また漢族居住地最北端の象徴であった万里の長城の外側(北)に位置する満州はその名の通り満人(女真族)の聖地とうたわれましたが、明治33年に勃発した北清事変の戦後処理過程でなんとロシアが居座ったのです。今のウクライナと同じ様なものです。しかし当時の日本はそのロシアを駆逐して満州を解放するとともに朝鮮のロシア化を阻止しました。歴史的にはそれが淵源となって昭和7年に満族念願の主権国家、満州國(⑦)が建国されました。しかし、その喜びも束の間、大東亜戦争敗戦後、これもまた匪賊(現「中共」)に奪われたままになっています。今日のチベットやウイグルで行われている民族浄化や飽くことなき収奪は66年前の満州國で実際行われたことのむし返しにすぎないのです。

 敗戦とはいえ、国体の継承性でいえば世界最古の歴史を誇る近代国家がこれほどズタズタにされた例はありません。アメリカ合衆国が中西部とアラスカ、ハワイ等を失い、東部13州に戻される以上のものです。あるいは大英帝国がブリテン島南部のイングランド地方に回帰してしまうようなものです。

 明治元年に近代日本のスタートを置く歴史観の確立が今日求められている所以です。

 しかし、このように足元を見直す取り組みは79年前にもありました。昭和11年に「日本英雄伝」という全10巻の全集が刊行されます。わが国の歴史に活躍した1千人の先人たちの生きざまを鑑として日本人としての自分を問い直したのです。

 スタジオ日本では、維新70年になされた当時の日本人の貴重な試みを、終戦70年大河企画「大日本帝國の復権」として、現代によみがえらせようとしています。

 今回は、明治初期から世界を相手にして、欧米に負けない国づくりに活動した実業家たちに、生まれ順に登場してもらいます。戦後の自虐史観に侵されていない日本人の生の声に、リスナーの皆さんと共に、耳を傾けて、私たちが今当然と思っていることがいかに多くの先人たちのお蔭かを改めて思い、自国の歴史への熱い思いと感謝が私たち日本人の力であることを確認し、明日への展望を切り開いていきたいと思います。

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