この人に聞く~元西日本台湾学友会会長 柳原憲一氏

日本再発見・周年篇 第33弾 令和5年5月14日放送

番組の趣旨

3年前に英霊達と約束しました。

「靖国の夜桜朝桜と夕桜と、春に会おう。雨も風も晴も」これを果たす為に、先月25、26日に上京しました。

石灯籠前の深夜に、小雨に煙る早朝に、降るばかり雨の黄昏に、ふと花々が語ることを耳にした――78年前に果せなかった島(たいわん)を守る責務を今度こそ共に守り切ろう!台湾と日本が共に、台湾と日本を守ろう。   思えば、5年前の3月28日、ご在位中最後の先島列島訪問に、上皇さまは与那国島の西崎(いりざき)で、町長に台湾は何処ですかと尋ね、静かに西方向の春霞にかかった海を見つめられたと報道されました。これは恐らく初めて公表された上皇さまが台湾に対する感情表現ではないでしょうか?実に興味深い。

花が散る、人が散る、雨が降る、涙が降る。桜雨の靖国に終戦翌年の昭和21年ことに考え込みました。今では昭和の日と称されています祝日、少し前まではみどりの日、もっと前は天皇誕生日である4月29日に、GHQが態とこの日を選んで、東京裁判A級戦犯28名を起訴しました。更に、A級戦犯7名の絞首刑は昭和23年12月23日を選びました。なんと、この日は当時皇太子である上皇陛下の誕生日でした。本日、昭和、平成兩陛下が無言に背負いつつ終戦の十字架に気付く国民は何人か残りますか?

今年は裕仁親王台湾行啓百周年の節目の年であり、大正12年4月16日午後1時25分、殿下は軍艦金剛より下船、基隆上陸しました。12日間の台湾行啓を終えて、4月27日午前10時5分に乗船、横須賀に向かう船中に22回目の誕生日を迎えられました。

去る100年の間に、台湾と日本は悲歡離合のなかに、幾歳を経ました。先人の智慧と努力のお蔭様で、互いに支えながら本日まで頑張ってきました。

そこで今回は、これから波高しの世界情勢のなか、共通な凶暴敵国に立ち向かうため、より理解し合い、より実現可能な日台安保を築く為に、蔡英文總統の素晴らしい地政学的戦略、台湾防衛における日本の可能性、日台相互緊急救助の仕組み、真の自衛隊と日本軍を作るべき、などについて、皆様と一緒に考えさせて頂きたいと思います。

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