終戦70年 大日本帝國の復権 其の五 明治-大正-昭和の外交官と郷土福岡の偉人たち

日本再発見・本篇第101弾 全6回 平成28年1月10日~2月14日放送

番組の趣旨

皆様は文久元年(1861)のロシア軍艦対馬占領事件を聞かれたことがありますか。また元治元年(1864)の馬関戦争をご存知ですか。

前者は極東での不凍港根拠地を獲得し、南洋航路を確保しようとしたロシアが約半年に亘って対馬を占領した事件です。後者はイギリス、フランス、アメリカ、オランダによる4国の連合艦隊と長州藩が関門海峡を舞台に戦われた戦争です。

前者での外交交渉は当時幕府の外国奉行であった小栗忠順(おぐりただまさ)ですが、結果としてイギリス東洋艦隊の力を借りてロシアを対馬から退去させることに成功します。後者での外交交渉は弱冠25歳の高杉晋作ですが、「彦島は私たちのものではない。日本は神のしろしめす国であるから、勝手に他国には渡せない」として、古事記、日本書紀などをふんだんに引用しながら、その場の通訳も困ってしまうようなことを言い、相手を圧倒し、租借の要求をキッパリと退けてしまいます。

幕末の出来事から福岡周辺の事柄を取り上げましたが、長崎県の対馬や山口県下関市の彦島がわが国の領土として国際的に認知され、樺太や香港のようにならずに済んでいるのは、このような先人の並々ならぬ努力と戦いがあったればこそですが、最終的には勝利の果実を外交交渉で確定させたが故の結果でもあるのです。

戦争が政治の延長とするならば、さしずめ外交は弾丸の飛び交わない戦闘行為と言っても過言ではありません。斥候を兼ねた日常の一挙手一投足が、常在戦場の姿勢で貫かれていなくては、とてもできるものではありません。いわば国家の命運を背負って他国と対面し、対峙する時、国家の顔のみならず、国体そのものとして機能すべき担当が外交官です。国家の意志を単に相手国に押し付けるだけでなく、また相手国の言いなりになるのでもなく、はたまた足して2で割る方式を採用するでもなく、天皇の大御心と国家100年の大計を判断基準にして他国と直接対応する文官が我が国外交官のあるべき姿です。

明治22年に発布された大日本帝國憲法の告文(おつげぶみ)に「皇朕(すめらわ)レ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうぼ)ニ循(したが)ヒ惟?(かむながら)ノ寶祚(ほうそ)ヲ承繼(しょうけい)シ舊圖(きゅうと)ヲ保持(ほじ)シテ敢(あえ)テ失墜(しっつい)スルコト無(な)シ」という件(くだり)がありますが、今回のシリーズでは明治、大正、昭和の名だたる外交官を取り上げ、彼らがいかにして祖国(舊圖)を保持し国益を護り抜き國史に貢献していったかを学んでいきたいと思います。

加えてシリーズ後半では地元福岡の偉人にも登場していただき、身近な先人たちの公(おおやけ)に殉じる勇気ある生き方に触れ、改めて感謝の念を深めていきたいと思います。

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