国語よ、よみがえれ~知を開き、情を養う

日本再発見・本篇第135弾 全6回 令和2年1月19日~2月23日放送

番組の趣旨

今やITに背を向けては政治も経済も、いや私たちの日常の暮らしさえ立ち行かない時代になりました。最近は携帯電話とにらめっこする人が増えています。通話やメールだけでなく多機能型携帯電話の普及で、無くてはならない道具となっています。そして1日に5時間も携帯電話をいじる人まで出現しています。1日24時間、その内の5時間がどれほど貴重な時間であるか、その愚かさ加減に呆れ、悲しくなってきます。

彼らが携帯電話にはまるのは、読書の喜びを経験することなしに生きてきた証拠です。友人とのたわいもないメールでやり取りするだけでは、せいぜい自分と友人の国語の水準の永遠の繰り返しに過ぎません。内的言語が豊になるどころか、仲間内の崩れた物言いに汚染し、かえって内的言語の秩序感覚の崩壊を招きかねません。

知識階級は英語との混成語、新聞、テレビ、雑誌をはじめ庶民は俗語まみれの民語です。今、私たちの国語はこの二つに股裂きにされた感があります。こうした国語の衰微に多くの国民が全く危機感を抱いていないのが実情です。国語が壊れるということは国家としての統合感が壊れることです。戦後憲法では個人を重んずるあまり、イエ・ムラ・クニを疎かにし、かえって人間一人ひとりの繋がりを断ち切って「孤人」を大量生産してきました。インターネットは世界中の人々と関係が結べる便利な装置ですが、それはあくまで擬似的な人間関係で、パソコンに向かっている個人個人は、互いに切り離された「孤人」なのです。

個人が「孤人」の殻に閉じこめられている限り、他者にわが身を映して学ぶ機会は得られません。従って、年齢相応に心を成長させてゆくこともできません。時間を逆戻りさせコンピューター社会を否定することができない以上、一層私たちは生きる意味、人間の価値、徳性を育てることの大切さ、人の喜びをわが喜びとし、人の悲しみをわが悲しみとできる情緒など、自らの命の源である先人に学ぶことが重要です。

戦後の国語政策は漢字制限にせよ、仮名遣いの改悪にせよ、先人の文化から私たちを断絶させる方向に働きました。私たちの子や孫が、漱石、鴎外、芥川龍之介すら原文で読めなくなっていることは、私たちの文化・伝統にとってこの上ない不幸な出来事です。戦後国語政策が国語を衰亡させたと言っても過言ではありません。

今回のシリーズでは、国語の問題を取り上げ、早くこの過失を改め、再び高度な思考に堪え、物のあわれを表現できる国語の再生、国語の底力について、視聴者の皆様とともに考えてみたいと思います。

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