明治の精神~昭和天皇御一代記

日本再発見・本篇第152弾 全5回 令和4年4月10日~5月8日放送

番組の趣旨

4月29日は、「昭和の日」です。元々は昭和天皇の誕生日です。「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」として、平成19年、国民の多くの声をもとに「みどりの日」が改称されました。

思うに、御歴代天皇の中で、昭和天皇ほど悲しみと憂いを抱かれた天皇はおられないでしょう。未曾有の大戦、そして敗戦。普通であれば亡国となっても不思議でないところですが、君主制を護持し、経済復興したのは、君徳を仰いで団結した国民の汗と涙の成果でした。

空の真ん中に上った月が、東宮御所を照らしていました。お庭のクヌギやケヤキが一斉に芽を出しはじめ、花壇の芝桜が月の光に浮き出して見えていました。御殿の中から「おぎゃあ、おぎゃあ」と元気な産声が上がりました。明治34年4月29日夜10時10分のことです。明治天皇に初孫がお生まれになったのです。天皇の御血筋はゆるぎのないものになったと、国を挙げて喜びました。

その34年前、265年もの間、力で国を治めていた徳川幕府の時代が終わりました。日本の国には、力ではなく慈しむ愛の力で世を治める天皇さまがおられたのだと、人々は気がついたのです。人々の、地の底から噴き出すような盛り上がりによって明治維新、王政復古はなされたのです。五箇条の御誓文が出され、すべてが新しく始まり、日本の国はあけぼのを迎えていました。文明開化の波は、銀座や丸の内を煉瓦の街とし、銀行、停車場と洋風建築が建ち並びました。明治22年には大日本帝國憲法も発布され、憲法によって政治をすることにもなりました。

しかし、海の彼方には、暗いもやもやとした不安を常に感じていました。明治27・28年の大国・清との戦争に勝利をおさめて以来、日本の舞台は大きく世界へと広がろうとしていました。

このような出来事が続いていた時だけに、親王ご誕生のニュースは国中に、まばゆい明るさをふりまくことが出来ました。御父、嘉仁(よしひと)皇太子殿下、24歳、御母、節子(さだこ)妃、18歳、御祖父、明治天皇50歳の時でありました。ちょうど端午の節句(5月5日)が名付け祝いのお七夜にあたり、宮内省から「4月29日降誕あらせられた親王、御名を裕仁(ひろひと)と命名せられ、迪宮(みちのみや)と称し奉る」と発表されました。

昭和天皇の御生涯は、まさにわが国激動の時代でした。そのような中で、天皇陛下はひたすら私心あらせられず、ただ御一人で未曾有の国難を背負い、国民の苦しみを除き、世界平和を祈って下さいました。そのうえ、最期まで苦難の道をお歩き下さいました。私たちはその御心に、まさに神を感じたからこそ、崩御をいたみ、ご仁慈をお慕い申し上げ、世界中の人々が、史上空前の参集でお別れを惜しんだのでした。

今回のシリーズでは、『明治の精神~昭和天皇御一代記』と題して、ご生誕121年を迎え、あらためて明治、大正、昭和の激動の日々を生き抜かれた「無私と慈愛」の人、昭和天皇の感動の御生涯に、視聴者の皆様と共に思いを致したいと存じます。

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