天皇を中心とする国柄~君民一体の連綿性

日本再発見・本篇第153弾 全6回 令和4年6月12日~7月17日放送

番組の趣旨

「日本の国柄」とは、「わが国の歴史的個性」と言い換えてもよいかも知れません。「国の体質」ということから「国体」と云う場合もあります。人間で言えば「その人らしさ」「人柄」です。国にも「その国らしさ」と云うものがあります。つまり、「その歴史の歩みが培って来たその国独自のもの」です。それを「国柄」「国体」と呼んでいます。

体質や素質は父母、祖父母、曽祖父母という血筋から受け継がれた遺伝的な、先天的な個体の特質です。このことから分かるように、個々の人間に先天的な「体質」「素質」があるように、国家(共同体)にも、代々の先人達によって形成された基本的な骨格があります。その歴史的に形づくられた共同体のルールこそが「憲法」なのです。

「日本の国柄」とは、日本人のアイデンティティの根幹をなすものであり、それを変えてしまったら、もうその国では無くなってしまうものです。「日本とはどういう国ですか」と聞かれて、一言で表現するなら何でしょう。いろいろな意見があると思いますが、その中で、骨格になる一番重要なものは何でしょう。

「日本の国柄は?」と聞かれたら、皆さんは答えられますか? もし答えられたとしても、てんでバラバラの答えが返ってくるのではないでしょうか。これは、世界でも異常なことです。

学校教育では、アメリカは「自由」の国、フランスは「平等、博愛」の国、中国は「一党独裁の共産主義」の国、と教えられて来たのに、自分たちが生まれ育ってきた国は、何を国家の基礎としてきたのかを教えられて来ませんでした。ですから、「こんな国」と説明できないのです。

では、一体何を見れば、その国の国柄が一番よく分かるのでしょうか。それは、憲法の冒頭です。そこには、だいたいその国の柱となることが書かれています。基本的に法律の条文は、重要なことを最初に書きます。具体的なことは、あとで書くのが普通です。だから憲法の条文でも、冒頭に重要なものが来て、各論はその後という構造になっています。もちろん憲法によっては、国の領域(領土)の話しから始めたりする場合もありますが、大抵は「国柄(国体)」が書かれています。

日本の「国柄」についても、憲法第一章の第一条に明記されています。「天皇は、日本國の象徴であり国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。

例えば長旅を終えて外国から飛行機で帰って来た時、窓の外に富士山が見えると、私たちは「日本に帰ってきた!」と実感するでしょう。私たちは富士山を見ることで、日本を見ているのです。この場合「富士山は日本を象徴する」といえます。これが「象徴するもの」と「象徴されるもの」の基本構造です。「象徴するも の」には姿形がありますが、反対に「象徴されるも」には実体がありません。

私たちは「天皇陛下」のお姿を拝見することによって、姿形のない「日本」という国を見たり感じたりすることが出来るのです。だからこそ「天皇陛下は、日本国を象徴する存在である」と言えるのです。

そこで、今回のシリーズでは、「天皇を中心とする国柄」をテーマに、戦後教育の云うところの「民主的で平和的な国家」から「歴史的国家」へ私たち自身の自国イメージを転換するために、改めて「国柄の核心―皇統の連綿性」について視聴者の皆様と考えて参りたいと思います。

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