まちづくり問題/平和を祈る父子桜~沖縄特攻に散った戦艦大和と第二艦隊司令長官伊藤整一海軍大将

特別篇 第24弾 平成27年4月5日放送

番組の趣旨

 大東亜戦争末期の昭和20年4月6日、米軍の集中攻撃下にある沖縄を守るべく世界一の大戦艦と謳われた大和が海上特攻に出撃しました。翌7日、「坊ノ岬海戦」にて米軍による激しい攻撃を受け沈没。この戦いで出撃した大日本帝國海軍聯合艦隊第二艦隊の司令長官伊藤整一海軍大将は旗艦大和と命を共にしました。伊藤長官の戦死から3週間後、沖縄特攻に志願した長男・叡(あきら)が戦死。神風特別攻撃隊として特攻機の掩護を担って出撃。4月28日、伊江島(いえじま)上空に散ったのです。21歳の若さでした。

 そして大東亜戦争が終わり、わが国・日本は連合軍総司令部(GHQ)による苛酷な占領統治を受けます。その結果、わが国の世論は一変し、命がけで戦ってくれた軍人・軍属への尊敬は薄れ、逆に非難の対象となります。このことが戦後を生きる遺族の心をどれだけ苦しめたかは、また大きな責任を負って戦った軍人ほど多くの非難を受けたかは、現在の私たちには想像も及びつかないほどひどいものでした。

 時は過ぎわが国が落ち着きを取り戻した頃。傷ついた伊藤整一・叡(あきら)父子の遺族の気持ちに灯りをともす小さな出来事がありました。生前、庭いじりが大好きで屋敷に四季の草花を絶やさなかった伊藤長官が、手植えをしたソメイヨシノ。杉並の大空襲を乗り越えて焼け残ったその木の根から珍しいことにひとつの枝が伸びました。その姿はまるで戦死した父と子が桜になって共に立っているかのようでした。

 現実的な国際感覚に優れた軍人伊藤整一ですが、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と教育勅語にあるように、国難に際しては祖国を守るため生きて還らぬ戦いに赴いたのです。戦後のわが国の平和と繁栄はもとを正せば彼らの生命を賭した戦いによって守られ勝ち取られたものであることを、現在の私たち日本人は片時も忘れてはならないのです。

 武人・伊藤整一の故郷は福岡県旧三池郡開(ひらき)村、現在のみやま市高田町。ここに平成20年、地域住民の方々を中心に「大和さくらの会」が発足しました。地域の偉人である伊藤整一を顕彰し、父子桜の苗木を植樹・頒分(はんぷ)することで、平和で豊かな社会を願い、国際親善と地域社会の発展に寄与することを目的とした活動をしています。今日はそのサポートメンバーをゲストに迎え、4月7日の命日を前に伊藤長官を偲びつつ、様々なエピソードを掘り下げてゆきたいと思います。

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