ひとづくり問題/日本人を掘り起こす~『素読と暗誦による国づくり』

特別篇 第27弾 平成27年12月6日放送

番組の趣旨

 書を読むとき、畳の上に正座して書見台に置いた本の頁をめくりながら音読していく形式を素読といいます。幼児教育や初等中等教育で大切にされる教育法で、身体に染み込ませるには最善の方法です。

 しかし昨今、この方法は教育界はもとより、一般社会からも急速に失われていきました。逆に語彙を情報素材の一部と考え、他の風景や環境と一緒くたにして、ただ流れゆくものとして扱う傾向が現代の風潮といえます。「読み合わせ」や「輪読」という習慣も廃れてしまいました。文字が主体性を失い、氾濫する情報の単なる要素になってしまった観があります。

 このままで良いのでしょうか。わが国では昔から言霊(ことだま)といって言(こと)の葉には神様が宿っていると言われてきました。そして実際そのように行動する人が敬意を払われてきました。曰く「言う事(言葉)と行う事(行動)が一致している」と。

 平成の御代から時代をさかのぼって考えるに、国民の叡智をいかにして形作ってきたかという局面からいえば、明治・大正・昭和、というより大東亜戦争終戦前の文化は圧倒的に素読が主流でした。そして繰り返し素読することによって暗誦していきました。それゆえ「いろはがるた」で、「い」と尋ねられると国民全員が即座に「犬も歩けば棒に当たる」と言えたのです。

 一方素読し暗誦するには膨大な日数と時間を要します。その努力に見合う価値の無いものは当然排除されていきます。「つまらないものは読むな」、しかし「気に入ったもの、人生の指針になるもの、お国のためになるものはとにかく読み込み憶え込め」です。

 明治政府は列強の重圧をはねのけ、欧米に負けない国づくりをしていくために最も遠回りの道を選択しました。「急がば廻れ」です。それが素読と暗誦による国作りです。そして選ばれたのは、陸軍には軍人勅諭(2686文字)、国民には教育勅語(315文字)でした。

 「五箇條ノ御誓文」や「皇室典範」、「大日本帝國憲法」も有難く大事なことには変わりませんが、当時の国民全員の意識を形作っていったのは教育勅語でした。そして、志願、徴兵問わず成人して陸軍に入隊した男子の心掛けや立ち居振舞いの教則本は軍人勅諭でした。

 世界から尊敬された戦前の平均的日本人が持っていた公心(おおやけごころ)と責任感、そしてそれを貫徹するための勇気はかくして形成されていったのです。

 温故知新といいますが、平成に生きる現在の私たち日本人は、愛情を持って国史(自国の歴史)に対面しさえすれば、今を生き抜く叡智がとめどなく授けられていくような気がしてなりません。

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