消された古代出雲族の原初の神々

特別篇 第38弾 令和5年4月23日放送

番組の趣旨

『古事記』や『日本書紀』には日本の神話が書かれています。その中でも出雲を舞台にした須佐之男命の八岐大蛇退治や大国主命の因幡の白兎や国譲りの話は、『古事記』や『日本書紀』を読んだことがなくても、子どもの頃から慣れ親しんだ馴染みのある物語だと思います。

『出雲神話』は、須佐之男命が出雲の地に降り立つところから始まります。高天原を追放された須佐之男命は、五十猛神を率いて新羅の国に降りられて、曽尸茂梨(現在のソウル)の所にいかれました。そこで「この地には私は居たくないのだ」と不服の言葉を言われ、東の方に渡り、出雲の簸の川のほとりに降りられました。そして、この須佐之男命の八岐大蛇退治、因幡の白兎、根の国での試練や国譲りの話などの大国主命の物語へと続いているのです。

記紀では出雲王朝は一つだったように書かれていますが、出雲地方の口伝では、西出雲王朝(神門家)と東出雲王朝(富家)が交代で「主王(ぬしおう)」となり、この主王を「大名持(おおなもち)」と言ったそうです。そして、第8代の大名持の個人名を「八千矛(やちほこ)」と言い、記紀ではこの人物のことを「大国主」と言っているようです。そして現在では、この「大国主」が、出雲大社の御祭神として祀られています。

『出雲神話』の国譲りでは、大国主命の息子である建御名方神は建御雷之男神との力比べに負け、諏訪まで逃げ、「以後、この地から一歩も外へ出ません」と誓って降参します。

しかし、諏訪においては、出雲神の建御名方神が諏訪に入る前から諏訪の地にはモレヤの神という神が治めて平和だったと伝えられています。このモレヤの神とは、古代信濃の土俗神、「ミシャグジ神」と呼ばれ、石神とも木神とも言われる憑依宣託する自然神でした。こうした非常に古代的な自然神祭祀(縄文的祭祀)を行なっていた諏訪の地に、新たに持ち込まれたのが建御名方神でした。

本来諏訪下社の神官だった金刺氏が建御名方神を祀って諏訪社を支配するようになってからは、建御名方神は諏訪上社の祭神となり、諏訪下社の祭神は、その配偶神である八坂刀売神となりました。

この物語は、縄文的な古代祭祀を色濃く残していた信濃が、畿内王権に帰属したことを伝える諏訪版の「国譲り神話」だとも言えるものです。

そうであれば、古代出雲でも須佐之男命が出雲に入ってくる前から、出雲の原初の神々が祀られていたはずです。この神々は歴史の中で完全に抹殺されてしまったのでしょうか。皆さんは、この神は何だと思いますか?

このほど、当番組では、この古代出雲の原初の神々を求め、出雲へ行って来ました。そこで、今回は、特別番組として、『消された古代出雲族の原初の神々』をテーマに、「記紀神話」以前の出雲の神々の源流について、視聴者の皆様とともに考えて参りたいと思います。

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