戦線後方記録映画「南京」を語る

年末年始篇 第24弾 平成29年1月1日放送

番組の趣旨

昭和12年(1937)12月13日、中華民國の首都南京はわが帝國陸軍の猛攻により陥落しました。周辺の外来民族により国土が占領され、その結果統治されたことは支那の歴史では決して目新しいことではありません。徳川幕藩体制が整備されていった丁度その頃、万里の長城の北に位置する満州から愛新覚羅ヌルハチに率いられた女真族は明を滅ぼし清を樹立しました。孫文の辛亥革命によって「建国268年の清」を倒した中華民國も建国僅か26年で首都を占領されてしまいました。

しかし、幸いにも南京には王兆銘政権が誕生し、わが国と善隣の誼を結ぶことができましたが、重慶に逃れた蒋介石一統は支那の民衆から見放されたにもかかわらず、政権を僭称し続けました。それが可能だったのは米国、英国が風前の灯である残存政権を承認し、援蒋ルートによる軍事支援を惜しまなかったからです。

私たちは南京戦をふりかえる時、それに先立つこと4ヶ月前の8月13日から10月26日まで75日間にわたって戦われた第二次上海事変を説明しなければなりません。しかし、この事変を語ろうとすれば、7月29日に発生した通州事件を忘れるわけにはいきません。また通州事件まで見ようとすれば、同月7日の盧溝橋事件は避けて通れない問題となります。これらはいずれも支那側から仕掛けられたもので、わが国をトコトン疲弊させるために長期戦の泥沼に引きずり込むための謀略戦であったことは、今日ではすでに明らかになっています。歴史は原因と結果の織りなす業として可能な限り公正に把えるまなざしが必要です。

今回公開された「南京」は、陥落の翌日である昭和12年12月14日昼から昭和13年1月上旬までの間の南京城内外を撮影したもので、東宝映画文化部によって制作された戦線記録映画です。東京裁判で主張されているような事件があったとされる期間の南京の、陥落直後から復興までの間のすべてが網羅されている歴史的記録フィルムです。まさに鉄證如山(鉄のように固く、山のように動かし難い証拠)として、帝國陸軍によるいわゆる「南京大虐殺」が全くの作り話であり、ウソであることを物語っています。

今年は、南京攻略80年の記念すべき年です。今回は正月特別番組として、『戦線後方記録映画「南京」』をご覧いただき、失われていたこの記録映画を発見され、オリジナル完全版として完成された松尾一郎氏に、完成までの経緯やご苦労話を交え、南京問題についてお話を伺いたいと思います。

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