人種差別撤廃法案で露呈した白人の二重基準

年末年始篇 第32弾 令和3年12月26日放送

番組の趣旨

考えてみると、幕末に開国して国際社会に参入して以来、日本ほど国際法や各種の取り決めを忠実に遵守してきた国はありません。そして、それは今も変わっていません。日本人は約束は守るもの、不信義、裏切り、騙しは恥ずべきもので、いやしくも一流国、先進国はそうした事をしないものと思い込んできましたが、気づいて見れば、謀略と奸計の渦巻く国際社会の中で、一人日本だけがウブでお人好しで、いいようにこづきまわされ、謝罪させられては金をむしり取られている有様です。そして、そのことに多くの日本人は気づいていないのです。何も進んで、日本が不信義、裏切りを働く必要はありません。しかし、世界ではそれがごく当たり前だということを知っておく必要があります。

第一次大戦までのヨーロッパの外交の考え方は、いくつもの国家が同盟を結んで対決し合う形態の勢力均衡策が、平和を守る手段だと考えられていました。それに代わって米国大統領のウイルソンは、単一の圧倒的な力を持つ諸国家の集まりが世界平和の受託者にならなければならないと言う考えでした。

それは第一次大戦後の戦後処理をめぐるパリ講和会議においてのことでした。この会議には日本も五大国の一員として参加していました。しかし、ウイルソンの独善的な理想主義外交は、日本にとって思いがけない矛盾を露呈しました。当時、米国議会では、いわゆる日本人移民排斥をめぐる対日差別法案が進められていました。米国は世界中から移民を招き、それで国家を成り立たせている以上、日本人移民だけを差別するのは人種差別にほかなりませんでした。

日本政府代表の全権西園寺公望は、パリ講和会議で堂々と人種差別撤廃法案を提案します。当時、多くの植民地を持っていた白人諸国でも、日本の正論には反対できませんでした。しぶしぶながらもフランス、イタリア、ギリシャ、中国らが賛成します。しかし、ウイルソンは賛成するかに見せかけ、最後はイギリスとともに反対にまわります。投票の結果、賛成17、反対11で賛成多数でしたが、委員長だったウイルソンは、このような重要案件は全会一致でなければならないとし、強引に不採決を宣言しました。米英のような植民地大国は、口では平和、平等を唱えながら、自分たちの都合が悪くなると詭弁を弄して反対する偽善性、二重基準性があらわに出たのです。

非白人諸民族が、固唾を飲んで見守った人種差別撤廃法案、それは日本代表にしか発言できない提言でしたが、見事に葬り去られてしまったのです。なお、ウイルソン提唱の国際連盟は、その翌年に成立しますが、米国は議会の反対により、これに加盟しませんでした。

後年、昭和天皇は、パリ講和会議での人種平等案の不成立と、米国の日本移民拒否の二つの事件を、大東亜戦争の遠因に挙げておられました。しかし、日本民族が掲げた人種差別撤廃の精神は、白人のために生まれた国際法の罠にかかり、幾多の辛酸を嘗めながらも、ついには植民地解放を実現したのです。

今回の年末年始特別企画では『人種差別撤廃法案で露呈した白人の二重基準』をテーマに、明治維新から現在までの先人たちの「日本の国のかたちを選んだ」賢明な選択と、これから私たちが選択すべき「国のかたち」について、視聴者の皆様と考えて参りたいと思います。

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