目覚めよ日本!~憲法改正、今こそ実現を

日本会議福岡 設立20周年記念大会(平成30年6月3日開催)

講師:田久保忠衛先生

趣旨

結成20年を迎えた日本会議(本部)

■日本会議への批判の大部分は誤解に基づく

日本会議は、今年(平成29年)5月に結成20周年を迎えました。この秋には20周年記念大会を予定しております。そこで冒頭、この節目にあたり両先生に一言お願いいたします。

田久保 私の人生を振り返ると三つに分けられます。第一の人生は通信社時代、主としてニュースの伝達者としての生活だった。第二の人生は大学で研究と教育に没頭した。この時期は同時にジャーナリズムで評論活動もした。第三の人生は、国家基本問題研究所、そして日本会議です。
私は2年前(平成27年)に推されて日本会議の会長に就任しましたが、就任前と就任後とでは、日本会議への見方はガラッと変わりました。就任した頃から日本会議批判が始まったらしいのですが、私は、それが新鮮でして、「この時期に一体どういうことなのかな」と思いました。月刊『Hanada』に反論を書いたり、外国特派員協会で海外の記者たちと忌憚のない意見交換をしたりしました。その中で感じたのは批判の大部分は誤解だということです。
例えば、日本会議の綱領の一、「我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」。これなどは誰が読んでも立派な内容です。
外国人記者クラブで誤解されているなと一番感じたのは、基本運動方針の第一項「国民統合の中心である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する」です。大日本帝国憲法に戻そうとしている団体だと勘違いしているような記者が多いのです。そういうことが徐々にわかりはじめましたが、彼らの誤解の背景には、そもそも日本の国体、国柄はどういうものかについての不勉強があると思った。逆に言えば、日本の国体が、いかに世界的にもユニークなものであるか、ということを知らしめることが、誤解を招き、日本会議の存在感を明確にさせることであり、ひいては日本を正しい方向に進めることだと痛感しました。「世界に冠たる国だ」などと威張るのではなく、アイデンティティを理解してもらうのです。他の国々がそれぞれやっているように、です。
悪口などというものは、私も記者時代に上司から「人間は悪口を言われて一人前、無視されたら終わりだ」と言われたものです。日本会議が大きくなればなるほど、風当たりが強くなるのは当然だと思って、これを克服しなければいかんと思います。

■国家の基本問題に対する取り組みに敬意

櫻井 まずは、日本会議が早くから皇室、防衛、教育など国家の基本問題について国民運動を展開してこられたことに敬意を表したいと思います。私は、日本会議は結束の固い組織であり、多くの政治家を支え、また政治家からの支持も受けてきた発信力の強い有力な団体であるという印象を持ってきました。ただ、田久保さんが会長になられて、いろいろとお話を伺い、これまでは外に対してはかなり防御的だったのだと、印象を改めました。田久保さんが内外の日本会議批判に対して外国特派員協会できちんお話しになった、それをきっかけに外に向けての窓口を広げてきていることは、必要かつ非常に良い変化ですね。海外との交流の中で自らの道を切り拓いていくのは当然です。その日本を守ろうとしている日本会議がもし海外で誤認されているとしたら、それを正面から受け止めて正していくことを恐れないことです。そうすることが風通しの良い組織だという印象を外に与えていきます。そういうイメージ戦略が大事だと思います。
外に向かって、日本としてのメッセージを大いに発信していくことが欠かせませんが、日本会議には、その先頭に立っていただけたらと思います。

田久保 その通りですね。さきほどの「日本会議は大日本帝国憲法に戻そうとしている」という批判についてですが、これには戦争に突入する直前の例外的体制を再現しようとしているとのバカげた考え方が土台になっている。もちろん大日本帝国憲法は立派な憲法で、時代の役割を果たしたものと私は評価しますが、欠点もあった。統帥権の独立という概念が政治的に利用されやすい欠点となっていたのも一つの例かと思います。日本会議は「新憲法の大網」を出して、新しい憲法を作ろうとかなり以前から提唱しています。そういうことを胸襟を開いて話し合えば誤解などの問題は小さくなっていくと思います。

憲法九条三項に自衛隊を明記する安倍総理の改憲提言

次のテーマは、安倍総理の九条に第三項を加えるという改憲提言をどう見るかということです。白村江の戦いから大東亜戦争まで、ずっと日本は自分の国は自分で守ってきた、というお話がありましたが、それをお聞きして、その1300年以上の歴史のスパンからみれば、自国の防衛をアメリカに依存している戦後70年がいかに異常な状態であるか、と改めて思いました。安倍政権下での憲法改正についてお伺いしたいと思います。

■「戦後レジームからの脱却」の最大のポイントは九条二項の改正

田久保 軍事技術の進歩した現代において、一国だけで自分の国を守ることのできる国はアメリカ、ロシア、中国の3カ国だけでしょう。それ以外の国は同盟で守ろうとしている。ですから、戦後日本が日米安保条約を結んで日米同盟で守ろうとしたのは正しい選択だったと思います。
しかし、いずれの国も自国の軍隊を持ち、まずは自分たちで守るという意思と体制があった上での同盟なのであって、戦後日本のように、自衛隊を軍隊でないと自ら規定し、軍事力の正当な行使もできない警察法体制の下で、非核三原則だとか専守防衛といった規制を政治家が先頭に立ってこれでもか、これでもかと付け加えてきた。国のバックボーンである自衛隊の存在を憲法で明らかにしない国がほかにあるのか。
トランプ政権下で日米同盟が重要といっても、いまはともかく今後果たして信頼関係が築けるかどうか、疑わしい。ましてやアメリカが基本的に内向きになりつつあるときに、国家として自立した軍隊を保持すべき時に来ている。その意味で憲法九条、ことに軍隊の不保持、交戦権の否認を明記した第二項を改正し、軍隊を保持すると憲法にはっきり書くことが必要不可欠のことになっているわけです。
ところが、この5月に安倍総理が提言したのは、憲法九条の一項、二項は残したままで、新たに三項を設けて、そこに自衛隊を明記するということでした。当時、病気で入院していた私は、この話を聞いたときに大変驚き、ショックを受けました。戦後レジームからの脱却の最大のポイントは、憲法九条第二項の改正ではなかったのか。なのに、これを残したままでどうするんだと。
安倍さんの言い分としては、評論家は結果に無責任でいいかもしれないが、政治家は結果を出さなければならない、国民投票で敗北したらいかなる事態になるか、ということです。公明党の支持が得られなければ国会発議ができない。そのために二項を残すという苦渋の選択をされたのでしょう。つまり、二項を残すことで、公明党を満足させ、自衛隊を明記することで、自民党内の右派や維新の会その他保守系の人々を満足させようとした。

■芦田修正案の解釈を採用しない政府

日本会議会長の立場を離れて、一学者の立場からいうと、憲法九条において、戦力の不保持及び交戦権否認の二項と、自衛隊を明記した三項の整合性はなかなか難しい。芦田(均)修正案のように、「前項の目的を達するため」の箇所を「前項目的=侵略戦争はしない」と取って、自衛のために軍隊は持てるという解釈でいけば、名前は自衛隊でも中身は自衛軍ということになるので、安倍総理の提案でも通るのです。

ところが政府は、芦田修正案の解釈を採用していない。だから、従来の政府の見解では、①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまること、という三要件を満たさないと武力行使はできない。安保法制での閣議決定で少し範囲が広がりました(武力行使の新三要件)が、限定的であることに変わりはない。ただし安保法制は集団的自衛権行使に一歩進め、日米同盟強化に一役買った。それを別にすると、自衛隊を憲法に明記しても芦田修正案を採用しない場合、二項を改正しない限り、自衛隊は軍隊ではなく、交戦権も持たない。この矛盾は残ることとなる。ただ、私は評論家だから、最終的責任はとれない。安倍さんの言い分を認めないわけにはいかない。

■「政治家には結果責任がある」(安倍総理)

櫻井 その通りなんですね。安倍総理は相当な癖玉を投げられたと思いますね。5月3日の読売新聞インタビューと同日の公開憲法フォーラムのビデオメッセージはほぼ同じ内容だったのですが、実はその二日前の5月1日に、自民党を主軸とする憲法改正を推進する議員の皆さん方の会、「新しい憲法選定推進大会」が憲政記念館で開かれました。私はそこで基調講演を行い、その後に安倍総理が講演なさった。安倍総理の発言と私の講演内容とは大きく異なっていて、私は少々驚きました。総理も私も憲法改正にはとても前向きですが、手法は異なりました。私の席は一番前だったのですが、登壇された安倍さんが心なしか私のほうを向いて、「我々は学者でも評論家でもない、政治家だ。政治家には結果責任がある」と繰り返し言われました。これは、理想論を言う私たちに対する強いメッセージなのかと、私は感じました。
そして3日の記事と提言になった。その内容は誰が聞いても矛盾そのものです。そこで、私でなくとも誰でも考えます。安倍総理はどういう意図であの提言を出したのだろうと。
衆議院でも参議院でも憲法審査会がまったく動かない。やる気がないと断ぜざるをえないような憲法審査会を動かすにはどうしたらいいかと安倍総理は考えられたのではないか。
そして、いま田久保さんがおっしゃたように、二項は残すということで公明党は文句を言えなくなったし、九条に踏み込んだことで保守の多くは口をつぐんだ。そして高等教育の無償化は維新を取り込んだ。老獪だなあと思いました。
そうして総理が発信した結果、どうなったか。にわかに憲法論議が活発化した。審査会のメンバーも前向きな姿勢を見せるようになりました。これは大きな変化であり、安倍総理の狙いのひとつは的中したんだと思います。
さて、私たちはこの提案をどう受けとめ、どう取り組んでいくか。政治家たちに話しを聞きますと、公明党を無視できない以上、現実的にはこの方法しかない。あとは、三項を追加していく過程で、二項を事実上否認していく、という意見が多いように思います。事実上二項を取り消す文言がどんな表現で可能になるのかはわかりませんが‥‥。
これらの政治家の議論と、筋を通したい保守言論人との間には溝があります。では、この溝のために、憲法改正への動きが事実上止まっていても、放っておけというのか、と今度は私たちの側に判断が迫られています。放っておいたままでは憲法改正は一歩も進まない。筋論で通している石破茂さんと同じわけで、石破さんの方法では憲法改正を前に進めることは困難でしょう。

■憲法改正の大前提は自主独立の精神を取り戻す

田久保 仰る通り70年間一歩も進まない憲法改正を、まずは動かさなければならない。安倍総理の意図のひとつがそこにあったとするならば、私たち日本会議は今こそ、自衛隊を憲法に明記するにはどうしたらいいか、知恵を絞って一大国民運動を起こさなければならない。そのためには「国民は自衛隊を応援している」との圧倒的世論喚起に取り組むことは喫緊の課題といえるでしょう。
そして、現実的に対処していくときにも、本質は決して忘れてはならない。ドイツ語のザイン(存在)もゾルレン(当為)も両方とも大切であるという意識は政治家にもしっかり持っていて欲しい。憲法論の本質とは、他の家の家訓を自分の家の居間に飾らせられて怒りを覚えない人は本当の人間か、ということですよ。同じ日本人なら家訓は似ているかもしれないが、まったく価値観の違う他国の人の家訓をいまだに飾っているのは恥です。これがいかに屈辱的なことであるか、はわかるはずです。自主独立の精神を取り戻す。これが憲法改正の大前提であるべきだと思います。

櫻井 そのことは本当に大事なことなんですね。いま、言論人、あるいは言論機関、シンクタンクとしての真価が問われていると肝に銘じたいと思います。

『海道東征』と日本の国柄

■日本国の家訓は神武建国の理念

――次に日本の国柄についてお伺いします。いま田久保先生が憲法論の本質とは自分の家の家訓を取り戻すことである、と仰いました。まさに日本の憲法とは日本国の家訓を基礎にしたものでなければならないと思います。では日本国の家訓とは何か。それこそ神武建国の理念だと思います。両先生には、今年4月、東京で開催された北原白秋作詞、信時潔作曲の交声曲『海道東征』のコンサートに足を運ばれたと伺いました。まずはそのご感想から。

田久保 皆、曲の素晴らしさをよく言います。曲はもちろん見事だったけれども、私は、白秋の詩の力強い格調に改めて魅せられました。パンフレットに載せられた白秋の詩は、万葉集に匹敵するような擬古体の文体で、神武東征の世界を高らかに謳い上げている。聞くところによると、白秋の最晩年の作で、作曲を依頼された信時潔は当初固辞していたが、詩に感動して作曲を引き受けたと。まさに白秋が命懸けで書いた畢竟の大作です。
コンサートでは、白秋の詩と信時潔の音とが渾然一体となって、日本民族の湧き上がる力というものを感じました。何回でも聴いていたいなと。実は大阪ではすでに3回やっていて、その評判を産経新聞副社長の斎藤勉氏から聞いて、期待感が高まっていた。期待し過ぎてもいけないと気持を抑えつつ行ったのですが、やっぱり期待通り、いやそれ以上だった。斉藤氏も来ていて、改めて感動していましたよ。私は初めて聴いたのですが、生まれる前から聴いていたような懐かしい感じというか、日本人の深層意識に伝わっている。心が衝き動かされました。

櫻井 本当に素晴らしかった。それで後日談というわけではないんですが、実は、そのコンサートの感動も醒め遣らぬ3日後に、宮崎県の高千穂に行きました。1年以上も前からの、ある人との約束だったのですが、高千穂に行ってみると、そこには『海道東征』の冒頭に謳われている天孫降臨の神話の世界がありました。天の八重雲を押し分けて、神々が降りられた。それが世代を経て神武東征へとつながっていった。田久保さんが詩が素晴らしいと仰ったけど、その詩の世界がそのまま目の前にある。これはもう天のお導きだと思いました。コンサートに感動した直後にそんな巡り合わせがありました。

―― 高千穂は雲海も有名で、高千穂峡や国見ヶ丘に行くと本当に神々の世界という感じがしますね。

櫻井 国見ヶ丘など丸一日高千穂を満喫しました。高千穂神社宮司の後藤俊彦氏が案内してくださいました。私は初めて行ったんですが、高千穂こそ日本の原点の土地だと思いましたね。全ての日本人はあそこに帰っていくんだろうと。深い山々と清らかな湧水は、人も里も神々に抱かれていることを感じさせます。根源的な自然の力、自然と共にある日本の国柄を実感させてくれる場所です。私はこれまで、日本の古い歴史を象徴するものとして、例えば、「神話の時代から続く皇室」というような書き方をしてきましたが、そこでいう神話とは単なる神話じゃなく、本当にあったこと、実話だったのです。高千穂の土地に立って、神話とは日本民族の足跡そのものだなと実感しました。(略)

■「海道東征」を日本の第九に

―― 評論家の新保祐司先生や産経新聞の安本寿久氏らが『海道東征』を日本の『第九』にしようと提唱されています。

櫻井 ベートーベンの『第九』は革命の歌ですからね。それが年末になると日本中で演奏されることになんとなく違和感があったのですが、『海道東征』こそ日本中で演奏するにふさわしい曲だと思います。

田久保 さきほどの繰り返しになりますが、『海道東征』に皆が感動するのは、まさに日本人の魂の琴線に触れるからですね。同じことを我々は、天皇陛下に感じてきたと思います。ここで紹介したいのは、国基研の評議員会議長の梅沢昇平さんが書いた『皇室を戴く社会主義』という本です。それによると、社会党の浅沼稲次郎氏は、家の神棚の前で毎朝、天皇陛下万歳を唱えていた。賀川豊彦は社会党の結成記念の大会で感激のあまり立ち上がって「天皇陛下万歳」をやった。あるいは、佐野学、鍋山貞親が獄中で共産主義からの転向声明を出したのは、コミンテルンの指示を受けた日本共産党が「天皇制」打倒を掲げたので、そんな党についていけないという強い反発からでした。
この本ではほかにも多くの人名が出てきますが、「天皇制」打倒まで踏み込んだ人は左派でも少数派だった。これが日本人のDNAなんだと著者は言っている。左派といえども、そこまで踏み込むことを憚るような日本人の精神がある。『海道東征』を聴いて、これに感動しない日本人はいないだろうなあと思うくらいの感動を受けたことで、梅沢氏の書いた話を思い出した次第です。

櫻井 皇室を巡る昨今の報道を見ると、日本における天皇、皇室の存在がどういうものなのかを忘れている人が増えていると危惧しています。民族の歴史を子供たちに伝承することが大事ですね。高千穂の物語も皇室の歴史も民族の深層意識の中に刻み込まれているのが本来の姿だと思います。そうしたことは教育できちんと教えなければならないのであり、そうしなければ民族の記憶は断絶していくと思います。

■『海ゆかば』は日本の国柄を讃える歌

信時潔のもうひとつの作品は、『海ゆかば』です。先日、88歳の有田焼の陶芸家で人間国宝の井上萬二氏にお会いする機会がありました。先の大戦時、15歳で帝国海軍に志願して17歳で出撃寸前で終戦を迎えた方です。いまの日本を見ていて自主独立、自力防衛の気概がないのが一番の問題だと仰っていましたが、御自身のお誕生日の席でのことです。余興で歌を一曲と周囲が促すと、井上さんは、「日本の国家を歌います」と言って、『海ゆかば』を歌われたのです。朗々とした声で歌われて、「これが本当の日本の国家です」と。

田久保 いいお話ですね。一方で戦後の保守系の政治家の中に、『海ゆかば』とか「立憲君主制」を耳にするだけで拒絶反応を示す人もいて困ったものです。『海ゆかば』を軍国主義の歌だと思い込んでいる。これは大いなる誤解で、軍国主義とは何の関係もないんです。万葉集にある日本の国柄をたたえる歌ですよ。「立憲君主制」は形式として天皇を元首としていますが、これが軍国主義とどういう関係があるのか。いまの世界で立憲君主国家には政治の安定した穏やかな国が多い。戦後70年以上経つわけですから、いい加減にバランス感覚を取り戻してほしいものです。

■日本は「天皇を中心とする道義国家」の国を目指し、その誇りを持った日本人を

―― 最後に、改めて日本会議の会員へのメッセージをお願いいたします。

田久保 安倍総理の時代には実現は難しいかもしれませんが、行く行くは憲法には日本の国柄をしっかりと書き込まなければなりません。手前味噌になって恐縮ですが、数年前に、産経新聞が主宰して『国民の憲法』という憲法草案を作ったことがあります。私はその起草委員会の委員長を仰せつかったのですが、その草案では、「日本は天皇を中心とした独立自存の道義国家である」ということが明らかにされています。そういう誇りをもった日本人を一人でも多く増やしていきたいですね。それが日本会議の使命なのではないでしょうか。

櫻井 日本ほど穏やかな人間味に満ちた価値観を大切にする文明はないのではないかと、私は思っています。一方で、いざというときには戦う雄々しさも持っているのが日本民族です。このような資質、日本の文明と価値観を憲法にきちんと反映していきたいと思います。

―― 教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」ですね。

櫻井 そうです。ただ、それは日本に特殊のものではなく、国際社会の常識でもあります。先頭、教育勅語が話題になって、批判する人たちがいましたけれども、国際的な視野に立った批判とは到底いえません。冒頭でも少し触れましたが、日本会議には、国際的にも広い視野で物事を見て、日本の価値観を世界に発信する先頭に立ってほしいと思います。

(『目覚めよ 日本 今こそ、憲法改正を』より)

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