ごあいさつ
6月21日(金)付け朝日新聞朝刊を開いて思わず目をむいた。「集団自決 すりこまれた忠誠心」の横見出しで全6段の扱い(1ページの6/11)だから記事量は大きい。一読してかの大江健三郎を相手にした集団自決・名誉毀損裁判の結果を無視し、不勉強のそしりを免れない若い記者を沖縄の民間人がうまく取り込んで書かせた記事になっている。
最高裁まで争われたこの裁判は「軍命があったと断定される証拠はなかったが、(手榴弾を民間防衛隊員に配布したものが住民に渡るなど武器管理の不徹底の面で)「軍の関与」があった」と認定。「軍命があった」とした大江の著書「沖縄ノート」については『軍命があったとは断定できないが、『沖縄ノート』を書いた当時は、いかにも軍命があったかのように流布されていたので、著者が真実だと信ずるに足る相当の理由があった」として名誉毀椙には当たらないとしたものであった。この「真実相当性」という法律用語は「表現の自由」を守る最低限の原則らしい。真実がひっくり返って、後年虚偽となった場合、いちいち裁判でも誉毀損を負わされたのでは怖くて表現ができない。そうした表現者の権利を守るという近代国家法の立場が考え出した概念だという。
ところで、大江は名誉毀損には問われなかったが、判決内容を誠実に受け取るならば、著書の記述を訂正しなければならないところである。しかし彼はそれをしない。マスコミも世の中の熊さん、八っつぁんらの常識では理解し難い名誉毀損裁判の特色を説明しないまま「大江側勝訴」とやったから、世間は「やっぱり軍命があった」と誤読したままである。判決後、馴染みの店の朝日好きのインテリ女将が「伊藤さん、やっぱり大江さんが正しかったのね」と言うから「ちょっとその新聞を持っておいで」と読んで聞かせて説明をしてやっと理解させたという涙ぐましい"苦労"があったことを思い出した。それが新聞社側の若い記者にも伝染していることが象徴的に現れたのが、冒頭に紹介した朝日新聞の記事である。
ある保守系の会合で私が出席者に聞いたことがある。「今日ご出席のみなさまで現在も朝日を読んでいる方は挙手をお願いします」。第一回目は56人中2名。第二回目は41人中1名。この少なさはどうしたものか。しかし第一回目の時「では今は読んでいないが昔は10年以上は購読していた人は」と聞くと、ざ~っと40名の方が挙手をした。私は朝日新聞出身者であるがこの結果にさもありなんと思う。現役時代に「危惧」していたことが今現実となっているからである。大問題なのは、真正保守の運動をしている私たちが知らないうちに、今も日々の朝日新聞によってわが国が汚染され続けていることである。事の理非をわきまえた同志に朝日を読んで日々新聞社に意見をしていただくことが最も早道なのであるが、今どき併読をすすめるわけにもゆかない。メディアの機能をよく理解し、報じる内容を主体的に引き受けて分析的、批判的に利用する能力をメディアリテラシーというらしい。そこで日曜討論の最後の12時からの30分間は「朝日を糺す」というコーナーで1週間を締めくくって欲しいと思うがいかがか。ぜひお願いしたいものである。