ごあいさつ
平成15年10月に『日曜討論』がスタートしてから早いもので10年が経過しました。開始してからの数年は、小菅亥三郎代表世話人と私が中心に番組を制作していましたが、加えて毎日曜日を一回も欠かさずに出演して放送することは容易ならざる事業でありました。しかし、それ以後の番組制作は専ら香月洋一副代表世話人であり、その超人的な活躍には敬意を表する次第です。また出演者、そして『日曜討論』を支えて戴いております多くのスタッフの方々に深く感謝申し上げます。
さて、今月(平成25年7月)27日に『終戦のエンペラー』が全国で一斉に封切られます。この映画は推薦の映画と迄はいきませんが、戦後の東京裁判史観に洗脳された映画に比べれば、一見の価値ある映画と言えます。
わが国がポツダム宣言を受諾して半月後に、マッカーサーは厚木の飛行場に降り立ちます。映画はそこから1ヶ月余りに及ぶドラマです。マッカーサーは、日本に到着するや高級副官のボナー・フェラーズ准将に、昭和天皇に戦争責任(開戦の責任)があるか否かを調査するように極秘に指示します。天皇制は残す方向ではあっても、米国の本国やGHQ幹部、連合国の国々には天皇を戦犯として処刑すべきだという意見が大勢を占め、その判断を見極める確かな証拠が必要でした。10日間でその結論を出さなければならなかったフェラーズは、日本の要職者を訪ねて面会していきます。最終的に天皇に開戦責任はないという満足な証拠は得られなかったものの、昭和天皇によって終戦が導かれ、終戦の詔書によって約700万人に及ぶ日本の軍隊が抵抗なく矛を収めた事実は重く、戦犯者にすべきではない旨の「覚書」がマッカーサーに提出されます。9月27日に昭和天皇と会談したマッカーサーもその内容を諒とします。
後年マッカーサーは東京裁判の誤りを認めていますが、GHQが絶大な権力を誇った当時、フェラーズの活躍なくして昭和天皇の訴追は免れなかったと思われます。フェラーズは戦前から複数回来日するほどの親日家であり、日本人が仰慕している天皇に対する理解がありました。その背景には、大学時代に一人の日本人留学生と出会い、その女性から日本を知るために小泉八雲を奨められ、全著作から東京大学で行った講義録まで取り寄せ、200冊以上を読破するほどの努力がありました。
嘗て小泉八雲は、「人は一冊の書物を著わすことによって、一戦闘で勝利を収めると同じ位に、自国に報いることができる」と述べました。戦後、昭和天皇やわが国の国体が危機の中で曲がりなりにも護持された背景には小泉八雲の著作が関連しており、まさに八雲自身の言葉が実証されたと言えます。附言すれば、わが国を正しく理解する内容、正しく伝える内容は、その国に報いることができることを示唆したものと言えます。『日曜討論』もその趣旨で営為が続けられている番組ですので、皆様方の一層のお力添えを賜れば幸いに存じます。