この人に聞く~九州大学大学院教授 施光恒氏

日本再発見・周年篇 第24弾 令和2年6月21日放送

番組の趣旨

海洋国家日本は、海岸を自然の国境として、隣国は海の向こうにあります。ナショナル・アイデンティティ(日本への帰属意識)を自覚する機会となる外国と接触するチャンスは限られています。ですから、日本国内に住む大多数の日本人はナショナル・アイデンティティを実感する機会がほとんどありません。

ナショナル・アイデンティティ(日本への帰属意識)とは、自分を育んでくれたのがどの共同体かという意味の帰属意識です。その意味で郷愁に近いものです。それは日本の文化では母への郷愁に近いものとされています。そのため、日本語では「母国」という言葉を使います。もう少し広げれば祖国です。ご先祖さまから自分に至るまで受け継いできたものに対する愛着です。欧州言語では父国という言葉を使う国もあります。

自分を育んだ社会に対する郷愁が愛国心であり、自分を育んだ社会がどこかと認識させるものがナショナル・アイデンティティ(日本への帰属意識)なのです。

かつて国会で民進党の蓮舫議員の二重国籍問題が取り上げられた時、「私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティは台湾人だ」と発言したことがありましたが、国籍は日本でも気持は日本に帰属していないと明言したようなものです。もちろんアイデンティティの意味もしっかり理解せずに口から出まかせを言ったのでしょうが、所詮はその程度の帰属意識なのです。

「愛国心」を排他的ナショナリズムと同一視してきた戦後日本の社会は「愛国心」という言葉に偏狭さを感じて嫌います。逆にナショナル・アイデンティティを自己民族中心主義的(エスノセントリック)な排他的愛国心と結びつけて語るものも多くいます。愛国心に対応する言葉は、パトリオティズムです。パトリオティズム(愛国主義・愛国心)は自分を育んでくれたものに対する愛着です。

共同体への帰属意識と自分を育んでくれたものに対する愛着とが結びついた時、自国だけでなく他国を尊重する国際環境が醸成されるのですが、「愛国心」をナショナル・アイデンティティと排他的ナショナリズムと結びつけたものとして嫌えば、それは単なる根無し草になってしまいます。根無し草には敵対する国民がいる場合には、単なる排他的ナショナリズムに陥るか、中身のない平和主義に陥ります。

戦後日本は、国家への帰属意識や愛国心を軽視する傾向が顕著で、国家という枠組み自体に疑念を抱いているようです。「グローバル化」に踊らされ、格差社会が進み、国民生活の基盤が揺らぎつつある日本に今必要なのは、確固たる愛国心や国家への帰属意識を備えることです。しかし、現在では与野党含めて国民に信頼される健全な政党がありません。残念ながら、それは期待できないようです。

日本列島は海に囲まれ、外国と直接接する機会がないため、日本人は自分がどこに帰属しているかというナショナル・アイデンティティを感じる機会に恵まれていません。そこで、今回の番組では、「ナショナル・アイデンティティ(日本への帰属意識)」について九州大学大学院教授の施光恒先生にお話を伺いながら、視聴者の皆様と共に考えて参りたいと思います。

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