日本人を掘り起こす

日本再発見・本篇第108弾 全6回 平成28年10月30日~12月11日放送

番組の趣旨

昭和64年(1989)、日本国民は何とも重たい空気の中にいました。今上陛下の天皇としてのスタートはここから始まります。あの大喪の礼は、国体としての祭祀ではなく、間違いなく政体の国威発揚でした。今上天皇が、今回お言葉の中で、あえて大喪の礼に触れられたのは、現在の象徴天皇制が都合よく政体にゆがめられている現実を目の当たりにされたからではないでしょうか。

日本という国家は、世界的にも珍しい統治形態が連綿と続きます。それは俗にいう「天皇制」ではありません。まず「国体」があって、「政体」が時々の権力を行使しますが、形式上は絶対に国体を上位に置く不文律です。国体と政体の綱引きも連綿と続いてきました。

明治維新後、その装丁は西洋の成文法をとりながらも、国体の発露として憲法が制定されました。大日本帝國憲法は国体の実相を反映し、国体の在り様を成文化した条章です。国体に政体の一部を取り込みました。しかし、続く現在の憲法は、国体を政体に「幽閉」しました。大東亜戦争で想像以上の抵抗を示した日本の力の源泉を国体であると見たマッカーサーは、国体を占領政策上廃止できないが、幽閉できれば利用しうると考えたのです。つまり国体を「人質として拉致した」のです。

GHQ解散後も時の政体を通じて国体は利用され続けてきました。それを皇太子時代を通じ、肌で感じてこられた今上陛下が、昭和天皇以上に慰霊の巡業を続けられ、国体の維持に努めてこられたのは、昭和天皇の御遺言だったのではないでしょうか。

先の大戦のわが国の責任は、国内的には時の政体にあります。昭和天皇が、国体と政体の関係を切り離し本来の姿に戻そうと御努力されたと考えるのはあながち間違いではないでしょう。世界戦略上、民族自決・アジア解放という偉大な功績を残したとはいえ、国内的には敗戦を余儀なくされた原因の一部に、国体が政体に取り込まれた国家体制にあると気づかれたのではないでしょうか。

占領下では、切り離す代わりに幽閉されることを認めるざるを得ませんでした。条件付ながら、政体のコントロール下に国体を置くということでもあります。

親子二代にわたる執念の悲願こそ、日本本来の国体と政体の分離された国家の在り様への復帰だったのではないでしょうか。

言うまでもなく、国体のなすことはお言葉でも再三述べられていたように、「国家、国民の安寧を祈願すること」だけです。しかしながら、この当たり前のことが政体では絶対になしえないことである以上、国体がやらねば誰がやるのか。国民に誰が、この当たり前のことを導くのでしょうか。

国体とは、その核が今上陛下です。国体の総体はいうまでもなく国民です。それは、政体の歪みを正すとてつもない力を持っています。

今回のシリーズでは、先の「天皇陛下のお言葉」から国体を発揚する大日本帝國憲法と国を失くす占領憲法(占領基本法)及び新旧皇室典範を対比しながら、「国体」と「政体」についてコメンテーターの皆様に語っていただき、先人の智を学び、日本人を掘り起こしていきたいと思います。

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