原台湾人の日本語から読み取れる大和魂

日本再発見・本篇第115弾 全6回 平成29年10月1日~11月5日放送

番組の趣旨

日本統治時代に日本語で育った台湾の人は、こぞって「戦前の日本の教育は素晴らしかった」と言われます。台湾の日本語世代の人は、日本語により大和魂をもった本当の日本人として教育され、成人しましたが、終戦後台湾を占領した國民党政権によって強制された北京語がどうしても理解できませんでした。彼らにとってそれは外国語であったことから感情を表現するレベルにまでは取り入れることが出来ず、思考する言語としては戦前の日本語が生き残っていったのです。そのおかげで、台湾では本物の日本語や大和魂が体現されています。一方、わが国では、日本語により自虐史観の植え付けがなされてきたため大和魂は悪者にされ、その魂を持った人に会うことは稀有になりました。

台湾での日本語教育は明治28年の台湾統治と同時に始まります。台湾は日本が経済的な収奪を行なう植民地ではなく、北海道や沖縄、樺太と同じ「新附の領土」であり、その臣民は民族こそ違え、日本国民同胞として遇するべきという考え方が根底にありました。それにはまず、日本人と台湾人が相互の言語を学んで、お互いを理解していくことからはじめ、台湾人の尊崇する文化・宗教を尊重することを方針としていました。

その結果、明治28年から昭和20年までの日本統治50年の日本語教育によって、日本語は漢民族と原住民の共通語となり、全島のコミュニケーション言語になりました。日本語教育が台湾で深く浸透したことで、日本語は台湾人にとって、意思疎通の言葉だけではなく、物事を考える言語にもなっていました。しかし、戦後、國民党政府は戒厳令を敷き、日本語使用の禁止令を出し、日本語教育は暗黒期に入りました。その後、台湾の人々の民主化を求める声が大きくなり、昭和61年にようやく戒厳令が解除されました。また、昭和63年には蒋経國総統が死去し副総統の李登輝氏が総統になるという台湾史にとって画期的な出来事が起こりました。李登輝総統は「私は24歳まで日本人だった」と公言してはばからず、中学の新教科書『認識台湾』で日本統治時代について「日本語による基礎教育は台湾人が現代知識を吸収する手段となり、台湾の近代化を促進した」と評価しました。そして、私立大学のみならず、国立大学や専門学校でも「日本語学科」が設置されるようになり台湾では正式に日本語抑制の枷がはずされました。

台湾の日本語世代の方々と交流を深めていくと、その日本語の美しさに驚きます。書簡のやり取りにも台湾人とは思えない、私たちの知る日本人以上の教養を感じます。今回のシリーズでは残り少なくなっている原台湾人の日本語世代の方々の戦前の美しい日本語や大和魂について考えてみたいと思います。

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